「デトロイト・メタル・シティ」
おしゃれでポップな音楽にあこがれた青年が、なぜかデスメタル界の英雄への道を駆け上がる、みんな大好きクラウザーさんの「DMC」の映画化なわけだけど。
オープニングのアニメーションにものすごく既視感があって、あれ?なんだっけ?と思っていたら、映画が始まる。
しばらくして。どうにもこう「?」が止まらなくなっている。予告編のクラウザーさんの出来映えからかなり原作寄りの映画だと思っていたのだが、そうではない。原作のクオリティから考えると、単純に「不出来」に見える。どうにも「カネのかかったコント」にしか見えないのがまず困ったことで、あれえ?と思う。
決して松山ケンイチの演技が悪いわけではない。むしろ力が入っているし、なりきりぶりからすればかなりのものだ。だが、どうにもバランスが悪い。クラウザーさんの正体であるところの根岸くんが、クラウザーさんの存在に翻弄される、というアプローチも間違ってはいないのだが、根岸くんのデフォルメまでもキツ過ぎるわ、クラウザーさんの過激さは薄められてるわで、キャラのギャップのインパクトは薄い。序盤のライブをたびたび抜け出してあこがれのヒロインとデートの場をつなぐ、というシチュエーション立てが、いまひとつ何がやりたいのか伝わってこない。
松山ケンイチの演技はいい。つまり、それを引き出している演出家のポテンシャルだって決して低いわけではない。だが、何かがズレている。クラウザーさんがレジェンドを築いていく過程を描くでもなく、さりとてデスメタルとしてのリアルが描けているわけでもない。
むしろ、根岸くんのおしゃれポップの完成度だけはやたらと抜きんでていて、その痛さまでもきちんとギャグに出来ているだけに、かえって「デスメタル」っぽいポップス、な「DMC」のインパクトが薄れてしまっているのは大きな難点。
もともと、一話完結の短いエピソードを積み重ねて構成されている原作を、普通に積み重ねるだけでは映画にはならない。脚色の大森美香がどのように原作を捉えているのか。それが前半だけでは全然見えてこない。それがおぼろげに見えてくるのは、中盤以降。クラウザーさんがヒロインに存在自体を完全否定されて、クラウザーさんになることをやめ、田舎に帰る。
その後、社長のセリフのなかに「ヒーローは人に夢を与える職業」云々という台詞がたびたび出てくる。「ヒーローには人々に夢を与える義務」があるとも。
あ。ああ。それって、あれか!「大いなる力には大いなる責任が伴う」ってこと?
そうか!「スパイダーマン2」だ、これ!ヒロインの加藤ローサ=キルスティン・ダンストのイメージで、つーとジャックはドクター・オクトパス!?うーん。なんか、クライマックスのジャック・イル・ダークとの対決が、ライブというよりほとんどプロレスノリなのも、なんか納得してしまった。アメコミヒーローとしてのクラウザーさんなのね。
まあ、それがあまり成功しているようには見えないのだが、メイおばさん的役割の母親に諭され実家からライブへ来るまでのノリが「クレヨンしんちゃん/暗黒タマタマ大追跡」のノリでニヤニヤしてしまったりと、終盤になるにしたがって、くだらなさのポテンシャルが上がってきてちょっと楽しかったので★3つ。(★★★)