- 作者: 杉浦日向子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/12/01
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葛飾北斎の娘とその周辺の日々を人々を描いた杉浦日向子による同名連作短編漫画を、原恵一監督がアニメーション映画化。「クレヨンしんちゃん」「河童のクウ」がシンエイ動画→「カラフル」がサンライズ。ときて本作はプロダクションI.G.制作。
弘法筆を選ばず、ならぬ、原恵一スタジオを選ばず、である。
んで。
ふむう。と思いながら見た。これはなかなかムズカシイ。
原恵一監督が当世きっての俊才であることはもはや疑う余地がないわけであるが、見終わってもやもやが残るのは、ここ最近の原恵一作品を見ていて思うことでもある。「惜しい。」である。
この映画についちゃ、コンセプトは明白だ。原作にも目を通してみて、なるほどと思うのは、この映画の骨格に「野分」という短編にしたことだ。ここを中心に据えてみせたところにこの映画の妙味がある、と思った。
「野分」は原作の後半に出てくる短編だ。ここに出てくる北斎の末娘・お猶(なお)を原恵一監督はフィーチャーしている。
この映画のメインヒロインであるお栄は葛飾応為として歴史上に名を残す天才である。父が葛飾北斎という大巨人ゆえに目立たないし、現存する作品は十数点しかないが、そのうちの「吉原夜景図」の独特な光の加減なんかは、北斎には出せない味がある。そんな彼女も、このときは修行の身。才気は溢れているが、何かが足りない。
一方お猶は幼くして目を病んで身体も弱く、盲目の為寺に預けられている童女だ。お栄とお猶。ふたりの姉妹の逢瀬で文化文政の江戸の、様々な場所での風を慈しむ姿を多分に入れていくのだが、こんな描写は原作には無い。お猶はその短編「野分」の中でただ、床の中で死に逝く。原恵一監督は、そんな彼女に、此岸の風をお栄とともに味わってもらうように映画を紡いでいく。
この映画はお栄の成長物語かと言うとちと違う。どちらかと言えば、成長の壁にぶち当たり、父の巨大さを思い知る。自分の才能に自負はある。その彼女の中に眠る天賦は、「龍を捉える」アニメーションで見事に表現されている。
あたしは何でも描けるし、誰にも負けるつもりはない。だが、ある時から成長が止まってしまったようにも思えてくる。 変わろうにも変われない。絵師としては器用でも人間としては不器用。それがこの映画の、23歳のお栄だ。
インタビューによると原監督はプロデューサーから「尺は90分」ときっちり区切られて、それでも二つ返事で引き受けたという。それくらい原監督は原作のファンである。ゆえに、原作から大きくはみ出さない。この映画のテンポは小気味いい語り口で、彼岸と此岸の境を行き来する江戸時代の人々の見る「世界」を、作画も背景も手抜かりは無く、アニメーションならではの密度の濃い表現で換骨奪胎する。その手練手管は、さすが原恵一と思う。
思うんですけどね。
原作を愛するあまりにエピソードをなるべく詰め込もうとするがゆえに、アニメーション映画の妙手ならではの小気味いいテンポのアニメーションが、原作の空気と微妙に齟齬を生んでるようにも思う。一見するとわからない。微妙な差だ。だが、やはり気になる。90分は短い。動き続けるアニメーション。しかし、この映画はむしろ静の演出が重要なのではないかしら、と思ってしまうのだ。動かすだけが、アニメでは無い。
出来ればテレビアニメーションで、とも思わなくは無い。ノイタミナあたりで、テレビアニメーション化って手もあった気はするのである。傑作テレビアニメーション「蟲師」などに比べると、どうにも落ち着きがないのが気になる。これは、まあ、今は贅沢な物言いだが。原恵一監督は、いい意味でも悪い意味でも、未だ職業監督なのだなあ。天才は、もっとわがままになってもいいのに!と思ってしまう。
「百日紅」という原作自体が大きな盛り上がりのある物語ではないし、物語もそこまでウェットな話でも無い。天才親子絵師、そしてその周辺の人々の「どうってことない暮らし」の中にふとほの見える、絵師たちや庶民の中に眠る業に触れる物語である。
それゆえに映画としては盛り上がりに欠けるようにも見え、そして、一気に駆け抜けるように語られる、お栄たちの物語はちとせわしない・・・ようにも思えるのである。「いいものを見た」という満足感がありつつも、もっと上を目指せたような気持ちも残る、なんとももどかしい佳作である。うーん、やっぱりなんか惜しい!のである。(★★★☆)
- 出版社/メーカー: エイベックス・ピクチャーズ
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