虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ドロップ」

toshi202009-03-24

監督・脚本・原作:品川祐


 信濃川ヒロシは不良漫画を手に持ちながら言う。「俺、転校して不良になりたいんだよね。」


 品川祐の自分をモデルにした小説の映画化を自ら担当。はあ、そうすか、それはよかったっすね。
 というわけで、ミクシィで品川嫌いコミュに入っているほど、おしゃクソ野郎*1が嫌いであるにもかかわらず、なぜか見てしまったのですが。結論から言うと。うん。悪くはない。けど、めちゃくちゃ面白いわけでもない。という映画。一言で言えば、中庸、という言葉が浮かぶ。


 この映画は、私立に通うボンボン主人公・ヒロシくん(成宮寛貴)が、不良漫画に影響されて公立中学に転入、赤い髪で登校したらいきなり眼をつけられて河川敷で達也(水嶋ヒロ)という金髪イケメンの不良にタイマン張られて、ボコボコにされる。しかし、それが縁で達也がつるむグループの仲間入りを果たし、「ドロップアウト」する。
 ・・・という不良ものに属する映画ではあるのだが、基本的に主人公・信濃川ヒロシの立ち位置は「三枚目」に入る。


 品川祐の監督の演出生理は比較的「娯楽志向」が強く、わかりやすく明快。クドカンほどのハイテンションでもなく、さりとて劇場を凍りつかせるようなこともない。演出はめちゃくちゃ軽快、というわけでもないが、鈍重でもない。
 映画好きを公言し、短編を作って肩慣らししてから本作に臨んだせいか、「それなり」にきちんとした演出もできていると思う。作り手の思惑としてはコメディ色を強めにした不良映画なのだが、この映画にはひとつほかの不良ものにはない特異点があるとするなら、それは「漫画」の延長線上に「不良」がある点である。


 主人公・ヒロシは基本的に漫画が好きであり、不良漫画に感化されて不良への道へと進む。不良へのタンカもガンダムを引用し、憧れの娘への告白も「漫画のヒロイン」を絡めて言ってみたりする。
 つまり、ヒロシのメンタリティというのは、ケンカしたいから、テッペン取りたいから不良になる、というものではなく、もしガンダムが実在してたら、「戦争したい」から・・・ではなく「ガンダムに乗りたい」から連邦軍に入る、というノリなのである。手っ取り早く「漫画のように生きられる」から不良になったに過ぎない。ヒロシくんは小学生くらいのころは、見えないとこでひたすらかめはめ波の練習をしまくってるような子だったに違いない。


 漫画のように、アニメのようになりたい。ヒロシという男のメンタリティをそこに置きながら、幕間に「漫画化された自分たち」の姿を挟む演出を施すあたりに、漫画になりたい自分を入れてみせるのは、大変正直なことだなあ、と思ったりした。
 この映画、話としてみると、べつにヒロシは不良としては三流の類で、ほぼ彼はケンカで負けている。この映画はべつに自らをヒーローだった、とした話ではない、「漫画」のようにはいかない日々を描いた映画なのである。


 ただ、そういう青春を送った人間の「痛さ」へと向かわず、「価値のあったもの」へと変換してしまうのが、「自己愛」の強い品川カントクらしいところ。もっと自分の「痛さ」を含めて笑い飛ばせないナイーブさが、お笑い好きに好かれない要因だと思うのだけれど。
 漫画になりたかった男の、回りまわった自己実現の話、と理解すると、この映画はかなり明快になると思うのである。(★★★)

*1:おしゃべりクソ野郎の略。品川カントクのニックネーム