虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「20世紀少年」

toshi202008-08-30

原作:浦沢直樹
監督:堤幸彦
脚本:福田靖/長崎尚志/浦沢直樹/渡辺雄介



 人間は常になにかを見過ごしながら生きている。


 浦沢直樹というひとは、それにものすごく自覚的な作家だと思う。人生を生きている我々は見ているものだけが正しいと思う。だが、それは一面的に見る限り、なんてことはない日常の中の一部のなにげない「違和感」としてそれはある。だが、それは、別の光が当たったとき、とてつもなく巨大な何かに接続してしまっている。
 「MASTERキートン」にしても、「MONSTER」にしてもそうだった。あらゆる人々の何気ない人生の中の、ある「違和感」が巨大なものにつながっている。歴史、宗教、国家、軍事機密、狂気、怪物。そういう「予感」を描かせたら、浦沢直樹はまさに「天才」である。
 原作はその浦沢文法を、世界レベルに広げた浦沢直樹の壮大な実験作であり、と同時に、過去の未来観をゆがんだ形で実現させようとした「人間」の、悲喜劇でもある。


 この原作の成否はともかく、この映画の意義はそれの再現ではなく、「語り直し」にある。原作者まで巻き込みながら、ここから何が生み出されていくのか、そういう意味では興味がある。


 ただ。それがこの映画の「限界」でもある。この3部作の第1章を見る限り、堤監督自身には「語り直す」意思が希薄に感じられる。映像も漫画のコスプレをした役者たちが「原作の再現」を演じる以上の意味を見いだせていないし、子役演技の想像以上の拙さは、子役たちの責任ではなく、演出する側の「作家としてのビジョンのなさ」の問題である*1。この人の演出力のなさが、ここ一番の大作によって大きく露呈してしまった今、このシリーズが、大傑作シリーズになる可能性はかなり厳しい、と思った。
 だが、それでも俺がこの映画に期待するのは、「20世紀少年」という物語を、新たに語り直そうとする、「浦沢直樹」がどこまで新たなるビジョンを示せるか、である。浦沢直樹の「語る意志」が原作を大きく超える可能性だけは、この映画は残している。浦沢直樹の大きな弱点である「引き延ばし」が許されない、「3部作」という枠を与えられたことで、どこまで「物語る意志」を濃厚に詰め込めるか。その微かな可能性を、信じたいと思う。(★★★)

*1:演出そのものを原作に依存しているため、結果、「監督の演出」という仕事を放棄している(ように見える)。