虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「クローバーフィールド/HAKAISHA」

toshi202008-04-05

原題:Cloverfield
監督:マット・リーブス
脚本:ドリュー・ゴダード


 実はかなり評価に迷った。正直言えば、「もっと面白いのではないか」と期待していた。その意味では期待を十分に応えてくれたとは言い難い。一定レベルでは面白かったし、良くできているんだけど、感動はしなかったんだよね。


 この映画は問題点はいくつもあるし、正直なところ傑作とも思わない。「9.11」の再現、という批評はすでに色んな人がやっているけど、俺は「9.11」に受けたショックの1/10も感じなかった。なんで自分がそんなふうに感じてしまったのか。


 俺が特に気になったのは2点ある。
 まず、この映画の手法は「一本の映画本編」としては片手落ちだということ。アメリカでは「なぞの映画」という煽り戦略で成功したのかもしれないが、怪獣映画としては順番がおかしい。この映画の特長は、怪獣映画というジャンルにも関わらず「疑似手持ちカメラ」という手法を用いて、「ビデオテープが偶然写した映像」という設定を徹底していることなのだが、それはあくまでも怪獣映画「本編」があってこそ有効なもののように感じる。この映画はあくまでも「外伝」であって、「クローバーフィールド」本編と対になって初めて完成すると思う。


 そして、ここが肝心なのだが。この映画は、手法とコンセプトにがんじがらめにされて、物語性があまりにもぞんざいなのだ。いや、「ぞんざい」というのは正確ではないな。この映画は「アトラクション的快楽」と「ビデオカメラから見た怪獣映画」というコンセプトについての徹底、そして撮影者とその仲間が辿る運命に非情に徹すること、に対しては非常にしっかりとしている。ただ、この映画の物語のあり方を考えると、それらの徹底ぶりに対して、物語の方があまりにも踏み込みが甘いのだと思う。あまりにも他人事なのだ。少なくとも俺はそう感じる。


 この映画は、もっと「パーソナル」な物語であるべきだった。いけすかない「ヤンエグ」たちが辿る悲劇ではなく、自分(作り手当人の投影)、自分たちの家族、友人・知人が巻き込まれる悲劇として描くべきだった。この手の映画の傑作「グエムル」や「宇宙戦争」が踏み込んでいった領域に、この映画は毛ほどもたどりついていない。その位の物語の吸引力なければ、結局は「他人事のアトラクション」でしかない。
 俺がこの映画に感じたのは、「他人がプレイするFPS(一人称視点シューティングゲーム)」を見ている感じ。そこに画面の向こうに「己」はおらず、没入しているのは「他人」。目の前で他人が死のうが、撮影者が死のうが関係ない。悲しくもなければ、悔やみもしない。人間の「死」すら「イベント」として心の隅で処理されるだけ。「あー、死んじゃった」と思うだけ。そんな非人間的な視点で、悲劇を眺めてしまったのだ。そんな視点、少なくともおれは映画に望まない。


 ただ一つ。この映画が、凡百の映画と違うのは、そんな欠点を抱えることがまるで必然であったかのように、ただただ愚直なまでに「映像資料としての怪獣映画」という「手法とコンセプト」に忠実であり続けたことであり、逆に言えば、その忠実さにこそ価値があった。見たこともないものを作る。ただ、その意気だけで、出来た映画である。そういう意味では成功していると思うし、こういう手法が抱える魅力とともに弱点をも浮き彫りにした。
 映画としての大きな欠点はあるけれども、その、徹底された実験精神とそれを娯楽映画として成立させた力業に対して敬意を表しての★4つ。(★★★+★)