虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「魔法にかけられて」

toshi202008-03-16

原題:Enchanted
監督:ケビン・リマ
脚本:ビル・ケリー


 「魔法にかけられて」という邦題のあとには、続きがある。と思う。


 ディズニーのお姫様が、もしも現代のニューヨークに来たならば・・・というシチュエーション・コメディ
 ディズニー・スタジオが作った、架空のアニメーションで幕を開け、王子様と出会ったジゼル姫は女王の陰謀で、「Happy Ever After」のない「異界」へ転送されてしまう。
 子持ちで弁護士のロバートは、娘と家路に着く途中、奇妙なドレスを着た女性と出会い、身元がわかるまで預かることにするのだが。


 ぼかあ、あんまり世評ほど「シュレック」が好きじゃない。ディズニーに大きく距離を取ったり、ムリクリに蔑むことでしか向き合えないなんてつまらない、と思うタチで、だったら全力でリスペクトしつつ相対する方がかっこいいと思うのである。だから、現実世界に飛ばされたディズニーキャラの破天荒な振る舞い*1を愛と少しの皮相を込めて描くこの映画を、一挙手一投足を楽しんだわけだが。
 この映画、どうも途中から、趣を異にするのは徐々に、「現実の方にジゼルが引っ張られる」ということだと思う。「王子様と出会い、結婚して幸せに過ごしました」という一本道を突き進むだけと思われたジゼルが、徐々に別の選択肢の方に、惹かれていく、という展開。


 どうもここで、別のイメージが自分の中に生まれてきて、見終わったあと、もやもやしていたのだが。ジゼルを演じているエイミー・アダムスが三十代女性、ということでハタと気づく。 これは女性映画でもあるのではないか。
 この映画を見て思い出したのは、「アリー・MY・ラブ」だったりする。
 高い理想にしがみつくのではなく、本当の幸せの選択は案外身近にあるのかもしれない。「アリー・MYラブ」は三十代を間近に控え結婚に焦りながら、結婚の理想を捨てきれないジレンマを抱える女性弁護士の話だが、ジゼルというカートゥーンが、現実世界で「肉体」を持つことで、「現代性」と「現実的な恋愛」を獲得するという流れは、二十代から三十代にかけての恋愛観の変化と、不思議と重なるような気がする。
 三十代に至るまで、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、という夢を見て、理想を高く持ったはいいが、現実レベルで考えるならば身の丈の合わぬ事ばかり。あたしの本当の幸せはどこにあるのか。という、幸せのあり方についての映画でもあるのかな、と。


 夢の世界は夢の世界で、愛すべきものだ。しかしそれは、決して現実ではない。彼女は現実世界にきたことで、キャラから人間へと徐々に回帰する。彼女が出会い、選択したのが、「世間ずれした王子さま」よりも「バツイチだけどニューヨークのエリート弁護士」、ってことも含めて、「魔法を解かれて」肉体を獲得した女性は、存外したたかなものであるよ、と思うのである。(★★★★)

*1:俺はこれらの振る舞いを「狂気」とは思わない。単純に「異文化」でよい。あいさつでキスするかしないか、女性が顔を隠すか、隠さないか程度の違いで考えておいた方が気楽に見れる。