虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ノーカントリー」

toshi202008-03-15

原題:No Country for Old Men
監督:ジョエル・コーエンイーサン・コーエン
原作:コーマック・マッカーシー


 一人の男がひょんなことから、殺人現場に遭遇。金を手に入れたはいいが、最悪の殺し屋に追われることになる。さらにその殺し屋を老保安官が追うが・・・。という話。


 前半から中盤にかけての追いかけっこの部分は、確かに面白い。特に、商店主に居丈高に話しながら、殺し屋がコインの裏表で生死をかけるシーンは、抜群に面白かった。
 だから、別に辛口にするつもりはなかったんだけど。終盤の展開に割り切れない部分が多くて、自分の中でしばらく寝かせておいたんだけど。日に日に俺の中の評価が下がっていく。娯楽映画にあるまじき「ブッチン」っぷりの理由について考えていたのだが、どう考えても「原作がそうだったから」らしい、という以外の理由が見あたらない。大体、ドラマツルギーを「追い掛けてくる男の怪物性へのミステリ」と「その怪物との対峙」に置いておきながら、あの展開はねえだろうよ。アメリカを描いてる、という評価もあるらしいが、だったら「バーバー」や「ビッグ・リボウスキ」の方がよっぽど「アメリカ」な映画だったと思うし、俺の中でのこの映画の価値って、追いかけっこの部分にしかない。
 つまり、この映画は本来、殺し屋の怪物性にシンプルに寄り添い続けることであるべきだと思う。終盤のカットをブチきる理由にはならない。あれはね、軽い怒りを覚えましたもん。なんじゃそら、って。娯楽として失格だろうよ、あんなの。それが物語に意外なふくらみを与えるならば、「あ、なるほど、私があさはかでございました、へへー」と心から平伏もしようが、なんとなく「この国、だんだん悪くなるよねー困った困った」ってじいさんがぼやいて終わる。ってギャグか。
 「羊たちの沈黙」なんて鮮やかに監禁から抜け出し、人混みにまぎれていくレクターにこころから戦慄したものだけど、それに比べると、どこへともなく去りゆく殺し屋にはナンの感慨も感じなかった。だってどうでもいいもん。もう。神の視点で見ちゃったら、いかな怪物だって、大地の中のひとつの「黒点」でしかないだろうが。人が怪物を見るから、怪物は怪物たり得るんだろうが。神が怪物見たって、そら「ぼやくしかない」わな。アメリカは変わってしまったなあ。嘆かわしい、嘆かわしい。
 前半から中盤が★★★★、終盤は★★、相殺して★★★というところ。(★★★)