虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「再会の街で」

toshi202008-01-13

原題:Reign Over Me
監督・脚本:マイク・バインダー


 ぞわっとする感じがある。既視感があるからだ。


 恐ろしいことに。告白するとこの映画、ちょっと怖かった。


 基本的には、感動系の映画である。狂言回しは歯科医のアラン(ドン・チードル)。女性にはそこそこもてるほどに魅力的で、幸せな家庭を持ち、開業医としての収入もある。それなりに満たされた人生を送っている。
 この映画はアランが、9.11のあの事件で家族を失った悲劇によって社会や仕事から背を向け心を閉ざした男・チャーリーと、十数年ぶりに再会したところから始まる。彼らは歯科大の学生時代のルームメイトであり、この映画の視点は常にアランとともにあり、チャーリーは「偶然再会した他人」として登場し、やがて再び友達としての付き合いが始まるのだが。
 この映画はそういうニュアンスがうまい。関係性の具合がリアル。元ルームメイトで互いの出自は知っているが、最近ではすっかり「疎遠」となった「旧友」との再会。彼は変わり果ててはいたが、気心はしれている。
 だが、チャーリーがなぜアランに対して心を開いたのか。


 この映画のリアルさはチャーリーのリアルさに起因してる。街の中で孤独を感じながらも外へ飛び出す。何かを収集する。一つのテレビゲームにのめり込む。音楽に耽溺する。深夜にキックボードのような原付バイクで走り回る。深夜のオールナイトで時間をつぶす。アランは彼の行動を「チャーリーの世界」と形容する。
 だが、僕はこのチャーリーの世界に既視感がある。そしてふと理解する。


 この映画は悲劇への向き合い方を描いた映画ではない。


 そのことに気づいて慄然とするのだ。これはコミュニケーション不全を起こした人間についての、現代の寓話だ。9.11なんてのはハナから物語の「起点」でしかなく、誤解を恐れずに言えば、この映画において「悲劇」はなんだっていいのだ。関東大震災でもいいし、日航機墜落事故だっていい。直近の悲劇として「9.11」を取り上げたにすぎない。
 道理で見覚えのあるはずだよな。虚構へと向かわざるを得ない心の移ろいは、いつだって自分の周りに渦巻いている。深入りされたくないこころの壁は、常にあって、その壁を超えてこようとするものを拒む心理。それは精神科医ですら届くことはなく、その壁をただ闇雲に壊そうとすれば、その痛みにただ人はのたうち回るだけである。


 心の奥底を探り合わないからこそ、「再開」したつながり。この映画は、チャーリーにコミュニケーションが下手くそな人々を体現させる。世界中に多くのチャーリーがいる。そして一見器用に生きているように見える、アランも。


 この映画は、チャーリーも、アランもそれぞれに心を閉ざしていたことに気づく。だから彼らは常にどこかで、袋小路に陥っている。互いに踏み込まない間柄だからこそつながっていた2人は、腹を割って話す、というシンプルな行為によって、チャーリーは初めて「自分の中の真実」へと目を向ける。
 この映画にもし既視感を持ったなら、あなたの中にもきっとチャーリーがいる。そして・・・俺の中にも。たぶん。いやきっと。


 普遍の真理を見据えた秀作である。(★★★★)