虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「クワイエットルームにようこそ」

toshi202007-10-27

監督・脚本・原作:松尾スズキ 


 人間というものは不思議なもんで、自分だけはまともである。などと思っていたりする。


 まともとはなんでしょう。ふと考えるのですよ。何?と。普通。フツー。俺はなるべくふつーでいたいと思う。だけど、フツーであろうとすることは、実はふつーじゃないことがある。人間ってのはおかしなもので。自分のいる足下半径25メートルくらいが大体「己の世界」で、そっから先は俺らには容易に理解し得ない世界。そこに人との会話やら接触やら、文明の利器、例えば電話、テレビ、ラジオ、パソコンなどというものが介在して、世界を認識している。で、俺という人間が発している思考の残滓を、今、この文章を読んでいるあなたに、「私」という人間がおぼろげに認識されている。くらいの感じで世界と「私」はゆるくつながっている。
 でも、人間は。基本的には愚かに出来ているし、流されてるだけだと結局、どこにもいけない。常に変わろうとすること、そして変わらずにいること。この二つが噛み合わなければ、「私」は容易に普通のステージから転げ落ちる。


 で、この映画なんですが。前評判ではね、割と普通に「女性映画」である、という話で。
 いやーてっきり、フツーな映画だと思っていたんですよ。そして松尾スズキにとって、普通の女性映画をきちんと志向した結果この映画になったのだと思うデスよ。たぶん。・・・だけどね。俺は思うわけです。


 この映画。変。おそらくだけど、松尾スズキの「普通」が「変」。「変」が「普通」でもよろしい。


 まあよくよく考えてみれば、初監督作の原作に羽生生純を選んでいる人の第2作が、「フツー」なわけないんだけど。問題はこの映画はおそらく「入り口を広くしておく」という前提がないと成り立たない映画なんですよね、これ。奇人変人キャラだらけの精神病棟の中にいるからこそ、まともな人と変人のコントラストが欲しいのだけれど、全体的に「普通」カテゴリの人までどこか「変」なのだ。ヒロインもその例にもれない。


 これはなかなか難儀な映画だと思いましたよ。例えば、同じ舞台出身の脚本・演出家である三谷幸喜宮藤官九郎は、「普通」の感覚がおそらく世間の「普通」からは大きくはみ出していないのだとおもうのだけど、松尾スズキ先生はね、普通のステージが、かなりレッドゾーン寄りというか、外角ギリギリはみ出てるみたいなね。感じ。ストライクゾーンの位置がズレてんだと思うんだけど。
 物語ってのは、狂言回しであるヒロインの目線で、観客は物語をのぞき見ているわけだから、当然のことながら、理解・共感を得るためには物語のハードルを下げておく方がいいわけです。そしてこの映画はそれを踏襲はしているはずなんだけど。松尾先生の「普通」のハードル、高いっすよ。


 この映画は「普通」のはずのヒロインが、実は・・・って物語なんだけど、割と出だしから共感の入り口が狭いために、共感するのではなく、傍観する感じで見てしまったのだよね。だから、「えっフツーに見えた彼女にそんな過去が!」と吉田豪的墓荒らし快楽を抱くよりも、「ああ、やっぱ変な人生送ってんだ」って納得する見方をしてしまった。
 つーかそもそも職業がお笑い系のライターで、彼氏がバラエティの構成作家、って時点で、「TVブロス」とか「クイックジャパン」あたりを普通に愛読してそうなサブカル度が高い、文化系女子って想像しちゃうわけで。で回想で、語られる彼女の人生が・・・うん。普通の位置がズレてる気がする。どこに一般人が共感する要素があるんだ、的な意味で。

 彼女の人生の回想は、「最初の結婚」から入るんだけど、そもそも彼女の初婚が、40代の塚本晋也という時点で、多くの女性客が脱落する気がする。あえてそれを入り口にするか?とそっちに驚いたというか、面白かったのだけれど


 普遍的なドラマのラインにも関わらず、あまりにもアクロバチック。あまりにも目まぐるしく。あまりにもカオスな普通。ストーリーとは別の意味でハラハラするのだけれど、着地は妙にサバサバしてるように見えるのは、結局自分って、フツーじゃねーんだ、フツーじゃないんだからしゃーねーや、という悟りのせいだと思うんだけど、入り口で振り落とされさえしなければ、その境地には見事に着地する。

 ていうか、ヒロインが変である、と披瀝されることで、フツーならどんどん底なし沼にひきずりこまれるような感じになるはずなのに、この映画は逆に物語が安定してくるのが、思い返すとおかしいんだけど。
 直球投げてるのに曲がってるように見える、妙な映画。面白かったけど、観客があえてボール球を打ちに行くくらいの積極性が問われるかもしれない。


 結論としては「自分(または他人)の変さを受け入れて、ほどほど普通でいるのが一番ですよ」ということで。(★★★)