虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「シッコ」

toshi202007-08-30

原題:Sicko
監督・脚本:マイケル・ムーア



 おなじみ、マイケル・ムーアの新作。


 今度の題材は、アメリカの医療保険制度について、である。



 マイケル・ムーアがこんなに優しい人間だったなんて!・・・と驚く人たちは多い。でも、俺は元来彼は素朴な愛国者だと思っていたし、世が世なら、保守論壇の側に立ってもおかしくない人だと思う。それについて彼も「ボウリング・フォー・コロンバイン」で自分の生い立ちを語る際に、言及してる。それはポーズでもなんでもなく、本来の彼はアメリカが大好きなんだと思う。
 ただ、彼が反米的なポーズを取らざるを得ないのは、彼にとっての「愛すべきアメリカ」と呼ぶには、その国の現実に、問題が多すぎるからだと思う。彼は理想のアメリカを信じるロマンチストでもある。同時に多くの現実が見えすぎている。だから、今のアメリカが許せない。彼の反米は「愛国」の裏返しである。彼なりの「憂国」行為なのだ。


 まず、自分が「華氏911」感想で書いたことを引用する。
http://members.edogawa.home.ne.jp/t20/review_0408.html#911


  全米の「愛国者」たちが彼を恐れるのは、アメリカのテレビやラジオくらいしか情報源がない大衆が今のあまりにもくだらない現実に怒りを覚えてしまうことだ。米国外(日本も含む)のインテリが「なんでこの映画が話題になるのかわからない。」というのも当然だ。これは国外では誰も知っていることが国内の人間には知らされていない、ということなのだ。
 「イラク戦争は正しい」という政府とメディアが作り上げたマトリックス(虚構)に対して、ムーアは「武器だ。大量の武器がいる」とつぶやく。だが、「マトリックス」のように大量の武器庫が現れるわけではない。彼の手にはカメラしかないのだ。彼の「武器」はカメラによって映し出された映像によって真実を知った「大衆の怒り」だ。

 武器の恐ろしさを説く前に武器を知れ。この映画は、 米国内メディアに対して映像という名の武器を磨け、と叫んでいるのだ。彼は大衆の哀しさを知っている。だから、大衆に真実を伝える。本当はテレビがやるべきことを映画作家のムーアがやっていることが、もっとも悲劇なのである。


 彼は元来「テレビ」の人だ。だから、彼の姿勢はどこか「ショーマン」な香りがする。ただ、彼の怒りの源は「なぜこんなことすら報道できないのか」というメディアへの怒り。それが作家性の根底にある。いつだってメデイアをゆがませているのは、企業の圧力である。保険屋が患者を食い物にする、その現実をどこも報道しないのだ。なぜなら、肥え太った保険屋がテレビ局に金をばらまいているから。被保険者に払われるはずの金を。それがアメリカのテレビメディアである。
 その現実を彼は直視することが「できてしまう」。だから彼は、このような作品を撮り続けることが出来るのだ。そのマイケル・ムーアが、アメリカが抱える「悲劇」は、いまも健在であることを、本作でも思い知らされる。


 映画の前半部、彼は徹底したリサーチと取材で、現状のアメリカの保険制度の問題点を浮き彫りにしていく。思わずうめき声あげたくなるような、そして実際上げてしまった事例の連続に、歯がみしそうなくらいに絶望的な事例の数々に、頭を抱える。本当にひどい話ばかりだ。ネットで公募したメールをもとに、データと事例を積み上げ、その悲劇たちの根本を探っていく。


 この悲劇たちに言えるのは、本来保険を受けるべき人たちが適用外にされて、その結果、時にまともな生活すら破壊されていることだろうと思う。
 そこには、利益誘導型の民間保険会社のシステムと、保険屋に献金漬けにされた政治家たち、そして皆保険制度を強硬に反対するメディアがいるからだと喝破する。・・・まあ、これが言いたいがために事例を集めたというのもあるだろうが、本当にどこまでも腐りきってる現状には、関係がないはずのこちらまで、吐き気がしそうである。


 政治家は、メディアは叫ぶ。「皆保険制度」は社会主義的で、非民主主義的な制度であると。医者の給料安くなる。高い保険料と治療費を払わされる。医者に自由はなくなり、患者にしわ寄せが来る。そう叫ぶ。
 そこには、マイケル・ムーアが「ボウリング・フォー・コロンバイン」以来指弾してきた、「恐怖を煽るメディア」の問題が浮かび上がる。


 その上で、ムーアはアメリカ人が「皆保険制度」について持っている、メディアで連呼されてきた「偏見」を洗い流しにかかる。「皆保険制度」は決してこわくなーい!勇気をもてくださーい!(宮崎吐夢風)と、「皆保険制度」を適用している西側諸国の医療の現状を取材するのである。
 マイケル・ムーアのわかりやすい恣意性に拒否反応を示す人もいるだろう。皆保険制度の問題点を一切触れずに「いいところだけを切り取っている」ってね。だけど、そんな批判は百も承知で、ムーア監督は皆保険制度の恩恵を受ける、前半の「悲劇」を体験した人と「同じ立場の人々」の声を拾っていく。そこには本来あるべき、被保険者の姿がある。この一目見て分かる、圧倒的不公平感、そして「社会主義的で問題山積のシステム」と皆保険制度をこきおろした権力者やメディアの声を一つ一つ否定していく。
 彼が憎むのはただひとつ。メディアが真実を隠すためにつく「嘘」なのである。彼は事例は選んでいるが。決して「嘘」はついていない。その、他国の「被保険者」の声は本物なのだ。


 クライマックス。彼はセルフパロディとして、悲劇の体験者たちと、テロリストが最高の医療を受けているという「グアンタナモ突撃取材」・・・のふりをしつつ、彼らを「仮想敵国」であり、社会主義国であるキューバへ連れて行く。そこの医療の現場を一緒に見ようというのである。ある薬屋で、女性患者が必要となる薬を買う。アメリカでは日本円換算で「1万4000円」する薬。だがその薬の金額を聞く。店員は金額を答える。それは日本円にして6円。
 彼女はその場で店を飛び出し、号泣する。「こんなに安いなんてバカにしてる!」。だがその不公平こそ、アメリカの現実そのものなのである。


 マイケル・ムーアがこれほど、わかりやすく映画を撮るのはなぜか。それはいつだって「テレビじゃ知れない俺たちの現実」を知らせるためである。俺たちはアメリカに住んでいる。それなのに、こんなに他国に比べて劣らなきゃならない?俺たちの信じる「理想的なアメリカ」はどこにある?
 マイケル・ムーアは映画の中心で愛を叫んでる。人に対しても、国に対しても。だけど彼は最後にこう付け加える。「それでも俺たちの国は病んでいる」と。その叫びでアメリカは変わるのだろうか。


 この映画が、いつか、アメリカ人にとって笑い話になる日が来ることを切に祈る。(★★★★★)