虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ノロイ」

toshi202005-09-07



公式ページ


 和製ブレアウィッチ・プロジェクトと言われている本作だけれども、実際かなり手が込んでいて良く出来ている。頑張っている。本当のこと、のように見せる演出も、映像を意味深につなげていく構成も実に巧みで、全体的な出来映えはかなりいい。正直かなり引き込まれたことは確か。


 いや、面白かった。面白かったですよ。面白かったですが…、その、面白いの意味がちょっと違う。


 映画は一人の映像作家の紹介から幕を開ける。怪奇映像作家・小林雅文氏である。
 この映画で作り手がとくに心を砕いているのがこの小林雅文という作家の持つ世界観の描写である。作り手が押し出す彼のイメージは、言ってみれば、日本オカルト界のマイケル・ムーアだろう。映画での彼は、ムーア的な突撃取材系のオカルト映像作家として、その巨躯を揺らしながら無類の行動力を見せる。本当に実在するのかわからない分野の第一人者。そんな彼のお蔵入り作品として、映画は幕を開ける。
 精巧な疑似バラエティ番組の出来映えも素晴らしいのだが、そんなテレビのVTRを編集して作品に組み込むその小林のスタイルは、本当にマイケル・ムーアのパロディになっていて可笑しい。


 ドキュメンタリー作家としての小林雅文は、確かにかつてないほどにリアル。だが、物語自体は虚構であることが自明である。ありながら、あくまでも実際の事件として提示されている事。そこに方法論の転倒を感じる。*1
 事実のように見せた嘘というのは難しい。どんなに手の込んだ演出を使っても、ちょっとした違和感でそれはたやすく「嘘」になってしまう。俺はこの映画について「よく出来ている」「頑張っている」と書いた。それはつまり、俺がこの映画を「虚構」と思っているということ。


 それでは駄目、なのだ。


 虚構を現実に見せることは、かえって「虚構」の色を強くしてしまう。その愚をこの映画は犯している。哀しいかな。現実にみせる虚構ならば、テレビを見れば、この映画より巧妙なそれが、溢れている。
 事象をリアルに物語ることと、事象を現実化しようとすることは似て非なることだ。本作の作り手の、物語る意思は結局、物語そのものよりも事象を現実のように見せる方法論の方に向かってしまった。であるならば、その方法論の先に、作り手が描こうとしたものをきちんと提示しなければならないはずだ。こんな程度の「リアル」ではまだまだ、弱いのである。(★★★)

*1:まあその転倒がこの映画の魅力でもあるんですけどね。このサイト的にはその魅力は見なかったことにします。