虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ドッグ・バイト・ドッグ」

toshi202007-08-25

原題:狗咬狗
監督: ソイ・チェン
脚本:セット・カムイェン / メルヴィン・リー / マット・チョウ



 戦争のような日常で生活すると、暴力は当たり前の行為となる。殺すことにすら躊躇もない人間に尊厳はあるのか。拳闘アクションでは一頭地を抜く香港映画界が、その命題へと踏み込んだ、挑戦的なノワール
 

 カンボジアから一人の男がやってきた。その男は殺し屋。生きるために食べる。食べれるときに食べ、そして生きるために殺す。身体には殺しの技術が詰まっており、生き延びるためなら殺しを行うことに一切の躊躇がない。欲望のためではなく、生存本能に忠実。人間の社会において、その存在は「怪物」ですらあるだろう。
 その「人の理」を超えた存在を、一人の刑事が目の当たりにする。父親を尊敬し、父の反対を押し切って刑事になり、そして父の汚職によって、幻滅と絶望の中で荒れていた、その男。だが、正義を信じていたい。その一縷の望みと上司の温情によって、刑事として生きている。だが、その男に出会ったことで、彼の運命は一変する。


 殺し屋としての仕事を全うし、逃亡する男。追う刑事達。その中で、男は一人の少女を救う。彼女は知恵遅れで、抵抗も出来ずに父親に犯されていた。


 
 暴力と殺ししか知らない男・パン。純粋培養の暴力の中で飼われてきた「狗」は護るべき者に初めて接し、とまどう。そして、彼女の存在を守るために使う力は、また威圧、暴力、そして殺し。愛することも守ることも、結局殺し合いの螺旋へと突き進み、抜き差しならない状況へと追い込まれていく。
 やがて、彼の暴力の矛先は、刑事たちへと向かっていく。正義という言葉は、その男にはない。そんな存在が、彼の大事な仲間を、心の枷を、端から粉々に砕いていく。ヤン刑事に襲い来る、喪失から来る絶望。そして理不尽に対する怒り。パンの「護る」ための暴力は、新たな死体と更なる狂気を生んでいく。


 暴力に罪悪を感じない男の末路は苦い。そんな男でも何かのために生きられるのなら。その「何か」とははなんだろう。
 絶望がさらなる絶望を呼び、そして憎しみがぶつかり合う。


 その時バンは何を見るのか。この映画が見せる、怒濤のように渦巻く暴力への諦観という名の霧、その中に見せる光は、あまりにもおぼろげで、いつでも闇へと帰る危うさを感じさせる。観客はただ、祝福する人間すらいないその存在に「光りあれ」と祈るしかないのである。
 彩度を抑えた映像が、自分たちのイメージを覆す演技を見せた主演の2人が、荒唐無稽ではあるけれど、決して的を外さない新人監督ソイ・チェンその演出によって昇華され、その勢いに圧倒させられる力作。(★★★★)