「新宿インシデント」
原題:新宿事件
監督:イー・シントン
脚本:イー・シントン、チョン・ティンナム
90年代初頭。中国から日本へ出稼ぎに行ったまま帰ってこない恋人の行方を追って、密入国する形でやってきた異国・日本。流れるままに着いたその国最大の繁華街・歌舞伎町にたどり着き、かつての恋人がヤクザの妻になっていて、子供もすでにいることを知る。中国当局に身元に関する書類を押さえられ、もはや帰ることすらままならない。そんな中国人男性・鉄頭(ジャッキー・チェン)は自らの居場所を異国の地に作るために、同郷の仲間とともに犯罪まがいの商売に手を染めていく。
ただ、質素に堅実に生きることくらいしか夢がない、気の弱い青年・阿傑(ダニエル・ウー)のために「汚い金」で買った小さな「天津甘栗」の屋台。それこそがダーティワークに手を染めた中国人たちの、青年に託した「ただ平凡にささやかに生きる」ことへの憧憬だった。
だが、青年を理不尽な差別からくる暴力が津波のように襲う。怒りと哀しみ、不安と焦燥のなかで生きる異国の地で抑圧されてきた感情が、鉄頭を「復讐」という名の暴力へと走らせる。その流れで救ったかつての恋人の夫でもあるヤクザ(加藤雅也)から提案されたのは、「暴力」という手段で「中国人」たちの生きる場所を確保する道だった。
ジャッキー・チェンは肉体をもって、映画ファンに映画以外の「彼自身の物語」を、印象的に見せつけている男である。
長く第一線で体を張って「ジャッキー・チェンでありつづけること」を自らに課してきた男が、齢を重ねる中で迫りくる老いとともに変わっていかざる得ない現実の中で、見出した活路がここなのか!・・・と驚いた。
誰よりも長くスクリーンで「青年」であり続けた男が、50歳の大台を迎えたときに作られた「香港国際警察」で、みずから「青年」の座を若手に譲り、以降「アクション・スター」ジャッキーとしての「スタイル」や「商品価値」と、あらがいながらも衰えていく自らの肉体に折り合いをつけながら、新しい自分を追い求めてきた男が、暴力で何かを得ても、結局暴力で得た幸せなどは暴力で購われてしまう、という現実を活写した映画へと結果として導かれていったのは、ものすごく「事件」な感じがした。
物語は、「一人の中国人」の目を通して、かつて中国が抱えていた「違法密航」とそういった中国人が、どのように自分の居場所を求めていったのかを、「青竜刀事件」を叩き台にして描き出そうとする。
どれほど出来た人物であろうと、どれほど温厚であろうとも、暴力によって得られた幸せは、暴力という購いを求められる。自らの手を汚してまで手に入れた、「同胞たちの新天地」。それを同胞に託した鉄頭は、みずからはカタギの事業を始めてやがて軌道に乗るが、同胞たちはヤクザに利用され、犯罪の片棒を担ぐまでに堕落していく。
切ないのは、平凡な夢しか見れなかったはずの青年・阿傑の変貌ぶり。理不尽な暴力に遭って、屋台だけでなく片手まで失い、生きる術を失ったのを哀れに思い、鉄頭は彼にシマを任せるが、暴力の洗礼を受けた彼はその痛みをから逃れるように、他人を食い物にし、他人に痛みを与え、その自己嫌悪から薬にのめりこむ悪循環が始まっていく。そんな哀しすぎる末路をたどる青年をダニエル・ウーが熱演してる。
どこへも行けない。居場所も、逃げ場もない。幸せになるには、汚いことだってやるしかなかった。そんなかつての「同胞」たちの姿を、自らのスタイルを捨てて、身を委ねてみせたジャッキー。彼の新たなる地平となる映画であり、そして綿密なリサーチによって、日本人からみても相応のリアリティを獲得した、暗黒映画の秀作だと思いました。(★★★★)