原題 Mandela: Long Walk to Freedom
監督:ジャスティン・チャドウィック
脚本:ウィリアム・ニコルソン
- 作者: ネルソンマンデラ,Nelson Mandela,東江一紀
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 1996/06/01
- メディア: 単行本
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本来ならばテレビシリーズとして描くべき作品なのではないかという気持ちがある。ネルソン・マンデラ氏の生涯。その「長い道」を描くためには、それこそ、どっしりとした「時間の積み重ね」がいるはずのものである。だが、この映画は言ってみればNHK大河ドラマの「総集編」のごときダイジェストの趣がある。上映時間は2時間27分と決して短い上映時間ではない。だが、それでもマンデラ氏の人生のすべてを描くには足らない。
映画というジャンルを逆手に取ってマンデラ氏を描いていたのが「インビクタス」でのイーストウッドである。
イーストウッドがこの「英雄の美談」を語りたかった「だけ」の映画ではない、と思ったのは、本当にイーストウッドはネルソン・マンデラという人物がたどってきた、その道程と運命に負けない「インビクタス(不屈)」な魂に敬意を持っているからだと思う。
この映画はイーストウッドが本当に描きたかったものを描いていない。それは「ネルソン・マンデラが獄中にいた27年」である。終身刑で獄中にあり、絶望の中にいても決して正気を失うことも希望を捨てることもやめず、そこから大統領という職に就きながらも、強い信念で白人と黒人の融和を心から望み、実行した「ハートの鉄人」。そんなマンデラという英雄がどのようにして生まれたかを、イーストウッドは描きたかったはずだ。しかし、決してそこには踏み込まない。
完熟英雄(ヒーロー)の描き方 - 虚馬ダイアリー
一方この映画は、マンデラ氏がどのようにして反アパルトヘイトのカリスマ的存在になっていったかを描けていない。無論、マンデラ氏を演じるイドリス・エルバの演技は素晴らしい。彼自身は見事にマンデラ氏の「体現」を行っているからこそ、この映画は成立している。だが、それでも彼が南アフリカの黒人達、そして世界中に「反アパルトヘイト」のアイコンになっていく、その求心力となる過程をこの映画はちょこちょこ端折っている。
では、この映画の眼目はどこにあるか。
マンデラ氏の女遊びも盛んに行っていたイケイケ弁護士時代、彼は離婚を経験している。南アフリカ共和国政府の白人優位政策が進行し、そして、彼が反アパルトヘイト運動に積極的関わるようになった時に、出会ったのがウィニー女史である。彼女と熱烈な恋に落ちたマンデラ氏は彼女と2度目の結婚をし、その後、彼の関わる「革命行動」は先鋭化し、暴力も辞さないようになると、彼はついに逮捕されるに至る。そして、彼は死刑も辞さない法廷闘争の末、終身刑となり投獄される。
こうして、ネルソン・マンデラとウィニー・マンデラは 長く断絶を余儀なくされる。そして映画はネルソンとウィニーがたどる「27年」を交互に描いていくのである。
元ボクサーであり、闘争本能バリバリだったマンデラ氏は、長い投獄生活の中で次第に「聖性」を帯びるようになり「非暴力」の大切さを悟っていく一方、マンデラ夫人であるウィニーは当局から目をつけられ、1年以上拘禁生活を強いられ、やがて反人種差別政策運動の中心的存在として、積極的に関わるようになる。
27年という月日。ネルソン・マンデラ氏の中ではウィニーはいつまでも「出会った頃のまま」の彼女を思うのだが、ウィニー・マンデラは、黒人達の白人への怨嗟の中で運動していく中で、暴力や粛清も辞さないようになっていくのである。
彼岸の世界で「インビクタス」な魂を磨いていった男と、此岸の世界で変貌せざるを得なかった女。夫婦であり、思い合い、そして同じ目的を持った同志でもありながら、釈放されてともに暮らしはじめてから、年月が生み出した深い溝が出来てしまったことに気づく。
マンデラ氏はやがてウィニーと袂を分かち、やがて、「白人との融和」を説く「非暴力の指導者」として、彼は立ち上がることになる。一組の男と女がたどった悲劇と、そこから生まれた希望を、この映画は描いているのである。(★★★)
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