虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「トランスフォーマー」

toshi202007-08-18

原題:Transformers
監督:マイケル・ベイ
脚本:ロベルト・オーチーアレックス・カーツマン



 この変態どもめ。と見ていて思った。



 とりあえず、久しぶりに両目で見る、最初の映画に決めていて、そういう意味では良くも悪くも期待を裏切らなかった。


 変型ロボじゃ全然無い(これじゃ変身ロボだろ)。ストーリーが適当。主人公の言うことがころころ変わる。コンテ書いてるやつの遠近感がかなり狂ってる*1。つーか、アクションシーンでなにが起こっているのかわからない。
 でも映像技術とアクションシーンの手間暇は限界突破。


 というマイケル・ベイ印映画の極北。
 宇宙からやってきた機械化された生命体が、偶然僕の(ガールハントするために)買った中古車でした、という一人の青年の話をからめつつ、未知の集団に前線基地をほぼ全滅させられた理由を追う、国防総省を中心とした群像劇に(かなり乱暴に)吸収されていく、という展開。漫画的世界を現実世界にリンクさせるためとはいえ、こう適当だと、正直、ストーリー的な魅力はあまり感じない。


 ロボット映画としても、俺には多くを語る言葉を持たない映画だ。変型ロボットとしてはあまり魅力を感じない。だっておもちゃにすることを考えてない変型ロボットなんてなあ。要は子供ががちゃがちゃ手で変えられてこその「変型」ロボだろうと俺は思うし。ロマンはそれほど感じなかった。むしろ変身しないロボのほうが、きっちりロボしてたと思う。
 この映画のトランスフォームは、生命進化や錬金術の「理解、分解、再構築」という論法に近いよな。これがほんとの「鋼の錬金術師」、なんちゃって。


 冗談はともかく。


 俺がこの映画で「ロボット映画」というジャンルとは別の意味で感じ入ったのは、この映画の「変身」ロボの「分解」から「再構成」へと至る過程のやりすぎ感がとにかくフェティッシュだった、ということ。つまり。機械化した生命、というエロティシズムだ。これはあきらかにILMの連中が変態だらけだからだと思う。


 彼らが描写したいのは「機械」と「生物」の融合。ロボットでありながら生命体である、という命題。


 どちらかというと、ロボットがサイボーグへ移行する寸前のエロティシズム。ロボットのようでロボットとは明らかに違う。この映画の戦闘シーンの激突するフェティッシュって、言ってみれば「攻殻機動隊」の草薙素子が思考戦車のハッチを開けようして機械化された腕がバラバラになる、あのエロさに似ている。機械から生命へ。その過程にあるものたちのエロス。そんな存在が、縦横無尽に躍動する。機械化した生命を創造する悦びに満ちあふれた、あふれすぎてどばどば汁がこぼれてるような、そんな映画。
 クライマックスに連打される戦闘シーンは、まさに、変態たちによる、変態する機械のための、変態映像の宴である。素晴らしい。


 ・・・んだけど、やっぱなあ、これでアクション絵コンテ書いたのがベイやんじゃなければなあ、と思うよ。だってイライラするもん。ここをこう撮ってほしいのに、あれなんでそこに移動してんだよ!俯瞰しろ!うわー!アップにするな!カメラ引け!!ブレブレするな!そこスローモーションいらんやろ!*2・・・という具合に。こここう撮れ、ちっがーう!つーかロボが見切れてるじゃねーか!ええい俺にカメラ貸せ!と思わずにはいられなかった。
 というわけで★ひとつ減点。(★★★★)

*1:つい最近まで割と他人事じゃなかったけど

*2:絶対ベイやんてスローモーションの効果、理解してない。