虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「河童のクゥと夏休み」

toshi202007-07-28

監督・脚本:原恵一 原作:木暮正夫



 力作、という言葉がこれほど似合う映画もない。苛烈な大力作である。


 その2時間18分に詰め込んだその、圧倒的な情熱。家族と一匹の河童のひと夏の交流と片付けるには、あまりにも力みなぎる演出と物語が全編を貫く。劇場版「クレヨンしんちゃん」シリーズから離れて5年。天才・原恵一の試金石ともいうべき、この映画は、まさにごまかしのない正統派映画の貫禄で、観客をぐいぐい引っ張っていくのだが。


 本気の原恵一、という作家性を正直見誤っていた感がある。苛烈である。あまりに苛烈な人である。
 そうか。こういう作家だったのか、と認識を改めた。「クレヨンしんちゃん」という枠を取っ払われた彼が、どのような方向に向かうのか。今まで考えたことがなかったのだが、こういう風になるのか。
 「戦国大合戦」で”青空侍”のあの運命を、こども映画で描いてしまった、あの残酷さは偶然じゃなかった。



 思ったよりも敷居が高い映画になったかな?と思うのは、キャラ然とした登場人物がいないこと。つまり河童なら河童という「キャラクター」を描くのではなく、河童の生態、そして「クゥ」という「人格」をきちんと描くというところまで掘り下げて脚本化していること。
 まあ、クゥに関しては、「恐ろしい人間」の対比として、素直で一本気な性格がとにかく愛らしく描写されているのけれど・・・。


 一方人間描写に対しては、とにかくすさまじい。主人公一家であろうと、彼らが抱える見栄、嫉妬、などの描写を描くことに、一切の躊躇がない。
 特に主人公の妹の描き様は、すごいことになってると思った。とにかくクゥを嫌う。ねたむ、拗ねる、やっかむ。この描きっぷり一つとってもとんでもない労力がかかってるうえに、リアル過ぎる。とにかく「うへえ」と思った。子供映画にも関わらず、人間の底の底まで描ききってやろう、という異様な、そう異様な執着。だって子供映画なのに、子供の描き方が容赦ない。原恵一は子供相手でも手加減しない。
 仲良くしていたはずの同級生の掌返し、そして残酷に傷つけてやろうというピュアな悪意。いじめという残酷な行為を行う、そのなんとも言えない軽さ。主人公もまた、好意を抱くおとなしめの女子に、わざわざきつい言葉を容赦なく吐く。一家に飼われている犬「オッサン」の回想でも、いじめの残酷さを容赦なく描き、大人より、むしろ子供の世界の方が大変なんだゾ、かすかべぼうえいたいなんてファンタジーだぜ!といわんばかりに、なんかもう、描写がいちいちヘビーだ。


 「かわいいは正義!」などというおためごかしなんか、まるでない。マスコミに取り上げられるようになる後半になっても、人間描写はより苛烈になっていて、子供を押さえつけてまでスクープを撮ろうとしたり、勝手な理由で近所に張り付いたあげくに河童を見せろと怒号を発し始めるマスコミの愚行の数々、クゥを見て「かわいいー」などと歓声をあげていた観客が、クゥがある行動をした途端、悲鳴をあげる。そのくせ、街で見かけるとカメラを持って追い回す、などという描写が続く。
 なにもそこまでせんでも、と思うほどの人間描写の掘り下げぶり。河童との共生など出来はしねえ。高畑勲的な醒めた人間描写が、全編配されている。



 この描写力で2時間18分である。河童の「リハビリ」描写、彼への家族のリアクション、主人公の日常の中の初恋、友情(の崩壊)、「オッサン」が語る変わっていってしまう人間の哀しみ*1、などなどのエピソードが、渾身の演出力で紡がれていく。変化球なんぞ使わない。2時間超という長尺でありながら、観客に対して全力で直球をズパッ!ズバッ!と投げ込む。そんな力の漲り方で全編突っ走る。


 
 一言で言えば「すごすぎる」。だけど、あえて悪く言えば「やりすぎ」。


 「クレヨンしんちゃん」シリーズでの彼の作品にはいい意味でいい加減な描写が多かった。それは長年培われてきた「野原一家」というキャラありきで、その「デフォルメされた日常」にリアルな非日常が迷い込むからなのだが、クレヨンしんちゃんのいない世界の4人家族は、野原一家とは似て非なる、リアルな会話がその主となる。
 原恵一の本気とは、いいところ悪いところを含めて、全編「リアル」な「ごまかしのない」人間描写に徹することにある。


 しかし。この「家族と河童のひと夏の交流」というハートフルとも言える題材でそこまでする必要があるのか。正直疑問だ。嘘のない、ごまかしのない演技、そして作劇。そういう意味では、「火垂るの墓」以来の恐るべき完成度を誇る。だが、アニメーションの魔法は、むしろ「いかに誤魔化して」物語を現実という枠から解き放つか、ということにあると言ってもいい。ましてや、この映画は子供向けなのである。戦争の残酷を描くわけでもないこのテーマならば、今はささやかな魔法を、「となりのトトロ*2のような、「現実からの飛翔」を見せるべきときではないか。


 あの唐突とも言える別れの場面を成立させるためには、その演出が不可欠。そうも思うのはラスト間際の、主人公に語りかける、クウの心の声に涙したもうひとりの自分である。主人公のささやかな成長や、クゥと妹の関係性の変化などの、描写も非常に巧みで胸を打つのは確か。


 だが。わざわざ、今生きている現実に映画をしばりつけてなんとする。そんな「現実」から解き放つのが、子供映画の役割ではないのか。
河童と出会うことが「幸せ」であることをもっと素直に描けたなら、アニメーション映画としてのいい意味での軽さがあったなら、この映画は子供たちにとって、もっと幸せな、忘れられない魔法になったと思うのである。そういう意味で、素直に「お子さんにお勧め」とは言い難い、多分に現実の、砂を噛むような苦味を伴う作品になってしまったのはなんとも惜しい気がするのである。(★★★★)

*1:なんてバッドエンドな「トイ・ストーリー2」。頭の中に「When she loved me」が流れた人!ハイ!

*2:「トトロ」と「火垂る」は同時上映。確認。