虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「レミーのおいしいレストラン」

toshi202007-07-27

原題:Ratatouille
監督・脚本:ブラッド・バード 原案:ヤン・ピンカヴァ


 落語には三題噺というのがある。あの有名な「芝浜」も三題噺という。えー、さて。


 引佐亭一河馬(ピンカヴァ)さん、という落語家がいまして。その方が新作落語を作ることになりました。

 その題材は、なんでも三題噺とかで。一河馬さんは古典が好きで、小咄の腕は素晴らしいものがありましたが、あまり新作長編落語を作ったことがありません。師匠のラセ太からは、お披露目をいついつにする、と言われていましたが、なかなかうまいこと出来上がりません。。てんで、よそから新しく入ってきたやり手の弟弟子の血鳥さんにに相談すると、ふたつ返事で引き受けてくれました。彼は新作落語が大得意だったのです・・・。


 というのは冗談ですが。監督のブラッド・バードが引き受けた経緯をわかりやすく言えばそういうことです。


 「フランス料理店」の厨房に「ネズミのシェフ」というシチュエーション、そして最後にラタトゥイユ(フランスの野菜煮込み料理。ネズミと引っかけたシャレ)を絡めて、笑って泣ける噺を作れ。


 期限は18ヶ月。


 短編で傑作「ゲイリーじいさんのチェス」を作り上げたヤン・ピンカヴァのひらめいがアイデアを元に、「アイアンジャイアント」「Mr.インクレディブル」のブラッド・バードが一から練り直した物語は、「生み出す才能」を巡る寓話である。他人のアイデアからパーソナルな題材に切り込んでみせる。ブラッド・バードの懐の深さであろう。
 笑って泣ける見事な三題噺が出来上がったのである。


 才能は誰に宿るかわからない。つまり、この映画における料理の才能、ってのはあくまでも例え、である。別にネズミじゃなくったっていいのだ。そこをあえて、厨房の嫌われもののネズミで押し通すのが、このアイデアの味噌である。そこを壊さずにいかに、自分の映画とするか。
 ブラッド・バードは料理に関してまったく無能だが人だけは善い青年を、ネズミの才能の理解者とし、彼が身体を貸すことで、料理を生み出す、という方法を生み出す。わかりやすく言えば二人羽織。日本の漫画でいえば「ヒカルの碁」のヒカルと佐為の関係といえばより明快だろうか。
 んなアホな、という設定だが、ことをあえて、アニメーションで押し通すあたりも見事。そして、表現の力を借りてこの「二人羽織」をアリにしてしまうことで、物語はさらなる深みを生み出す。


 レミーは才能の固まりであり、グストーの「誰でも名シェフ」という至言の体現でもある。そんな彼でも理解者である青年がいなければ、才能を発揮する場もない。ネズミの才能をいかんなく発揮する場を与えることで青年は、レストランで信頼を獲得いていくわけだが、やがてつまらないプライドの諍いにより、彼らには溝が生まれ始める。これは、自身の強気の性格から、長年不遇をかこってきた自身の経験がもとになっていると思われる。
 この映画が本当に素晴らしいのは、グストーの「誰でも名シェフ」という言葉の真意と、それを体現した存在によって、傲慢な受け手であった辛口評論家・アントン・イーゴの目が見開かれていく、という展開で。言葉を曲解して結果、グストー自身の命を縮めたイーゴに対する、巡り巡ったなんとも見事な返礼である。
 そして、そこから生まれたイーゴのモノローグのあまりの素晴らしさに、俺はもう涙が止まらなかった。そうだよ!受け手の、才能に対する素直な感嘆こそが、未来を作っていくのだ!
 善き才能のためにこそ我々受け手はいる!


 そしてラストで、レミーが見つけた居場所は、一流レストランなんかよりももっと素晴らしい場所。そのレストランに星はない。だが、才能がいかんなく、パーフェクトに発揮できる居場所である。 その姿は、監督自身のものでもあるだろう。ブラッド・バードという才能は、今、ジョン・ラセターという理解者のいるピクサーという場所で、最高に輝いている。寓話として、これ以上のものはないと思う。
 作家としてだけではなく、職業監督としてのスキルをも見せつけるブラッド・バードの最高傑作。(★★★★★)