虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「選挙」

toshi202007-07-26

監督:想田和弘


 「campaign」なのだそうだ。この映画の外国語題である。


 変な話だが。選挙、というものに熱心に入れ込む人と、入れ込まない人がいる。当事者になっている人と、そうでない人、と大別できるかもしれない。


 これを書いているのは、選挙期間の真っ最中で、政治家になりたい方々が一斉にキャンペーンやってる真っ最中なわけである。
 久米宏がラジオで、駅前を通るたびに選挙の演説にぶち当たるんたびに、「うっせーな」と思っちゃう、という枕でトークをし、そこからアシスタントの小島アナが以前、ウグイス嬢をやっていた、という話になった。彼女は当時は声を発すれば発するほど、人々にこれは伝わってるんだな、と当時は思っていたけれども、いざ無関係になってしまうと、「大音量で申し訳ありません」って謝られて余計に腹立つ、みたいになってしまうのは、変な感じですよね、という。まあ、久米さんも「Nステ」やってた頃は選挙特番やってるわけで、当事者になってしまうと、そこにはいやでも「イベント」感が出てくる。
 この映画を見るために渋谷の駅前を歩けば、候補者の演説にぶち当たるわけで、まあ、その姿を尻目におれはこの映画をみるためにいそいそと歩いている、という。候補者の関係者と俺は、テンション的にはもう明らかに違うわけで、当人にとってみれば、人生すら賭けての一大決戦なのだけれど、俺はそれを「うっせーなー」と思いながらすり抜けていく、というのも変な話なのであるが、選挙、というものがそういう、一方通行なイベントになっているから、投票率はいまだに上がらないんじゃねーの、などと最近おもう。
 


 で、この映画の入り口は、東大卒でありながら、個人商店主として気ままに生きてきた山内和彦氏が自民党の候補者として選挙に出馬し、その姿に密着するドキュメンタリーである。選挙についての知識も経験もないところから、体当たりでぶつかっていく姿を描いていく。
 この映画が特異なのは、政治についての映画ではなくて、選挙という人生を賭けた一大イベント、というくくりで映画を撮っている感じがするのである。いままで俺は、選挙に関わる人々の、あのこちらの生活を無視した奇妙なテンションがあまり理解できなかったのだが、この映画を見ていると、その独特な雰囲気が、妙に新鮮に感じられるのである。この映画が映し出す「実態」というのは、この「選挙」という名のイベントの「実態」なのだが、今、これを書いている今、このイベントがいくつも連なり、国民の大多数がその結果に一喜一憂している、と考えると、妙に腑に落ちた感じがある。
 おもろいなあ、と思ったのは、カメラを担いで想田監督が映し出したものを、演出を施さずに見せていることで、だからこそ、この映画は非常に「ライブ」な感じがする。たとえば、一地方の市会議員選挙であるにも関わらず、小泉首相(当時)がいらっしゃる、という段になると、場の雰囲気が一気にそわそわし出すんだけど、なぜか撮っている当人もそわそわした感じになるところとか、なんか、すげえ面白い、と思ってしまった。 


 この映画は、改革という幻想を口にしながら、ドブ板選挙のどうしようもない現実や、しがらみに翻弄されていく山さんの姿を通して、結果的に日本の選挙の滑稽さを見事に映しだしているんだけれども、と同時に、この映画が映像的に我々を引きつけるのは、いろんな意味でそのイベントを「楽しんでいる」監督のカメラの楽しさだ。
 彼は批評性を求めて撮っているわけではなく、この奇妙な、そして切実に我々と結びついているはずの政治の「現場」の、奇妙な雰囲気を、異邦人として楽しんでいる雰囲気すらある。だからこそ、歴戦の選挙運動の達人風のおばちゃんから、山さんに対する軽口から選挙絡みの興味深い逸話をいくつも引き出したり出来たのではないか、と思った。


 つまり。選挙というのは、外から見れば騒がしいだけに見えるけれども、関わっている人々は、高邁な思想を持っているというよりも、その人生を賭けた「祭り」の雰囲気を、心から楽しんでいるだけなのだ、とも思えた。こういうのが好きなのだなー、と。
 私は選挙のたびに、選挙運動を見てきたけれども、特定の候補者に肩入れしたことはない。だから、知っているようで知らない世界を、まるで興味深く切り取った事の方に、この映画の面白さがある気がした。そういう意味では、山さんをダシにした、想田監督の異世界冒険シャシン、というくらいの態度で見た方が、面白い気がするのである。


 そういう意味では、この映画はお勉強映画ではなく、真の意味でのエクスプロイテーション・フィルムとして優秀になったのだと思う。(★★★★)