虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「Genius Party/ジーニアス・パーティ」

toshi202007-07-19

アニメーション制作: STUDIO4℃
プロデューサー: 佐伯幸枝
エグゼクティブプロデューサー: 田中栄子




 予告編によると、このオムニバスのテーマは「制約はゼロ」なのだそうだ。うん。そうね。


 とりあえず作品ごとの★から


「Genius Party」(福島敦子)★★★
「上海大竜」(河森正治)★★★
「デステック・フォー」(木村真二 )★★★
「ドアチャイム」(福山庸治)★★
「LIMIT CYCLE」(二村秀樹)★
「夢みるキカイ」(湯浅政明)★★
「BABY BLUE」(渡辺信一郎)★★


 で。


 俺の中で、スタジオ4℃の最高傑作は、「鉄コン筋クリート」でも「MIND GAME」でもなくて、「アニマトリックス」の一編、森本晃司監督の「ビヨンド」*1なんです。で。あれがなんで生み出されたかについて、しばし考えるんだけど、監督の才能、というのもそうだけど、やはり資質を理解して、協力するプロデューサーなくして、あの出来映えはあり得なかったと思うわけです。
 「アニマトリックス」が世に出た当時、「リローデッド」「レボリューションズ」が賛否分かれたこともあって、「ハリウッド映画をジャパニメーションが実力で凌駕した」と脳天気に喜んでた時代があった。確かにあの企画は、オムニバスアニメというジャンルでは、異例の成功例と言っていいと思う。日本のアニメから多大な影響を受けた恩返しとばかりに、ウォシャウスキー兄弟がこの企画に入れ込んだこともあって、マトリックスに関連していればどのようにイメージを変えてもらってもかまわない、という太っ腹ぶりを見せた。
 ただし。それでも、ウォシャウスキー兄弟側が提示したのは、作家に対して、「こういうものをあなたには期待している」という姿勢だったはずだ。川尻善昭には「獣兵衛忍風帖」のイメージを、渡辺真一郎には「カウボーイビバップ」をイメージした作風を、といった風に。


 商業的観点に見合った縛りは、ごく当然に行われるべきものである。ぎちぎちにしばって、窒息させてしまう必要はないが、作品の商業性に見合った「制約と誓約」*2は必要なはずである。
 つまり、オムニバスの出来不出来は、実は、プロデューサーの力に左右されるのである。作家に何をさせたいか。それが明確であれば、おのずとクオリティも上がってくる。


 俺はね。こういう、監督未経験者に演出経験の機会を与える企画を実現させるスタジオ4℃の姿勢には共感も賛同もするし、だから去年の「DEEP IMAGINATION」にも足を運んだけれども、でもさ。そろそろ「商業的価値」ってもんも考えたらいかがか。だって、こっちは金払ってんだぜ。お布施じゃないんだ。エンターテイメントが見たいんですよ。
 「制約は、ゼロ」はいいけどね。正直「LIMIT CYCLE」みたいなオナニー以前の、霊験もなにもない読経みたいなもんのPVを見せられるこっちの身にもなれや!たいがいにせえよ!作家に対して制約を持たない、って聞こえはいいけどな、こういうどっかの哲学書の文句をそのままづらづら引き写したような、写経みたいな脚本を持ってきた時点でボツにせえや! フリーダムにも限度があるわ!!


 今後、こういう企画が行われることは賛同したいけれど、いくらなんでも、「制約」と「テーマ」はきちんと設けるべき。この作品の閑古鳥っぷりは当然の帰結だと思う。
 なんといっても、日本が誇る、湯浅政明、渡辺真一郎という2つの才能から、この程度の作品しか引き出せなかったことがまず、大問題。「好きにやれ」というのは実は自由でもなんでもないんだよ。あんたらが、「どういう作品をやってほしいか」を言わなきゃ。高く飛ぶには、いろいろなものがいるんだよ。大地に置き去りにするという「自由」は、重力で大地に呪縛する結果となるのだ。


 断っておくと、技術のレベルは総じて高いし、見るべきものがないわけではない。河森正治監督の作品は、国境やジャンルを超越した世界観が楽しかったし、福島敦子監督のような、アート系アニメに果敢に挑戦した心意気は買いたい。
 こういう企画は今後も出来うる限り見ていきたいから、せめてアニメで「読経」を容認するような「制約ゼロ」は勘弁してくれ。自由をはき違えてしまった反面教師にすべき短編集、と思う。

*1:前から言いたかったけど、「電脳コイル」って、明らかにこれの影響受けてるよね。

*2:BY「HUNTER×HUNTER」の念強化法。確認。