虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ歌うケツだけ爆弾!」

toshi202007-05-05

監督: ムトウユージ
脚本: やすみ哲夫


 泣いた。見終わってから、あまりに悔しくて。マジで涙が出た。クレしん映画、これでいいのかと。


 ・・・俺はねえ・・・。ぶっちゃけて言えば映画って楽しいんですよ。★数関係なく。たいがい楽しめる自信がある。でも、俺、久々に見ていて苦痛だった。ここまで映画見ていてやるせなかったの久々ですよ。
 まさかクレしん映画みて、こんな思いをするとは思わなかった。こちらとしてもさ、別に天才・原恵一レベルを期待しているわけじゃねーよ。だけど、だけどさ。俺、見終わった後に、出てきた言葉が「悔しい」なんだよ。ここまで、ここまでレベルの落ちたクレしん映画は見たくなかった。


 この映画の突っ込みどころはですね。全部だね。この映画の存在自体。


 物語の基本ラインはシロに地球破壊できるほどの爆弾がケツにくっつく、という理不尽なシチュエーションで展開するんだけれど、作劇の段階でいきなり間違ってるのは、爆弾がどこから来て、爆弾の存在を知っている組織の目的までいきなりバラしてから、野原一家を登場させてるところ。
 ちっげーだろ。まず野原一家なり、しんちゃんなりの視点で物語を始めてから、理不尽な状況が現れないと意味ないだろが!ネタばらししてから、始めるミステリーがどこにあるってんだ、ボケが。
 そこからさらに、爆弾を狙う謎の歌劇団が登場して、シロを付けねらうんだけれど、こいつらの目的が「主役の人が黒光りする爆弾を欲しがってるから」という意味不明さ。なんだそれは。おかげで、こいつらの展開するミュージカルシーンのすべりっぷりがエライことに。主役の女を演じる戸田恵子がなまじうまいせいで、さらにいたたまれなくなってくる。


 
 あのね。映画ネタをやればクレしん映画と思ってるんなら甘いだろ。出てくる登場人物に芯がないの。脇役、悪役だけの話ならまだいいんだよ。問題は、野原一家までが行き当たりばったりでしか行動してないことで。それはダメだろ、やすみ哲夫(脚本)よ。俺が言うべきことじゃないかもしらんけど、あんたなんも分かってない。上っ面だけ原恵一をなぞっても、空回りに空回って、話になってねーんだもん。
 しんちゃんの逃避行から始まる愁嘆場にしたってさ、その間にシロとの友情なりなんなりを強調する場面のひとつも入れてから展開させてしかるべきなのに、シロとテケトーに付き合ってたはずのしんのすけが急に「シロはともだちダゾ」とか「お助けするゾ」とか言われても説得力ねーんだよ。
 そもそもさ、爆弾を回収に向かった組織の行動自体は、本来正しい行いのはずだろ?地球破壊の恐れのある爆弾のついた一匹の犬を回収する、という使命自体はさ。だからこそ、野原一家にとっては理不尽だったはずじゃない?ところが、後半になると、その組織のトップが「計画通り」にしないと気が済まない変な人に変貌して、彼の「性癖」が「悪」にすり替わってしまうんだよ。なんだそれは。話が違ってんじゃねーか。
 それで「家族」は大事よね、とか、いうテーマに無理矢理押し込まれても、ついてけねーよ。つーか、冒頭に出てきた宇宙人、結局からまねーんじゃねか!なんだったんだ。


 結局なにがやりたかったのかさっぱりわからん映画になってしまった。ムトウユージ監督はそこそこいい仕事してると思うんだけど、話がメタメタならすべて無駄。いくらベテランが脚本担当したからって、きちんとダメ出ししないと、これから先、低落傾向に歯止めがかからなくなると思う。そんな危惧も込めて★ひとつ。(★)