虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「スパイダーマン3」

toshi202007-05-03

原題:Spider-Man 3
監督:サム・ライミ
脚本:アルビン・サージェント


 まいった。サム・ライミすごい、と思った。
 「2」という大傑作を撮ったあとに、史上最高額、という予算をかけて作り上げたのがこれか、と。数多く聞こえてくるブーイングもわからぬではない。だけど、映画的なまとまりはともかく、俺はサム・ライミの並々ならぬスパイディへの愛と覚悟を感じた。それは「パーカーを簡単に悟らせてなるものか」という覚悟である。


 「2」を見て、ピーター・パーカーの迷いは消えたと思った我々の期待をあざ笑うかのように、ピーター・パーカーは自分から迷いの種を引き寄せていく。人間はそう簡単に変われない。いちいち物事につまづいて物理的に悩んでいた「2」の頃の問題は解決へと向かい、ヒーロー業とプライベートの両立をこなせるまでに成長したが、それで人間的に成長したか・・・と言われるとどうか。忘れてはいけないことがひとつある。パーカーはモテない男であった過去、だ。「1」時代の彼のことだ。


 我々は「ドラえもん」を読んで知っているはずだ。身分不相応なひみつどうぐを手に入れたのび太が、どのような行動を取るかを。「1」でのピーターはどうだったか。そう、彼は本来、出来杉くんではなく、のび太側の人間なのだ。


 人間というのは不思議なもので、物事の歯車が順調に動き出すと、理想の自分とは違う「素」の自分が徐々に立ち現れてくるものだ。本来、スパイダーマンという責任を果たせるだけの能力を偶然手に入れて。有頂天になってへこまされたのが「1」。能力を持つことの責任感を覚えたはいいが、プライベートとの兼ね合いという物理的な壁に四苦八苦するのが「2」。
 「3」はそれらの物理的な障壁を乗り越えてて責任を果たした後に待っている「見返り」、そして責任を果たす過程で発生した様々な「因果」から生まれた問題に向き合うことになる。


 今回の敵は3体もいる。だが、ピーターの最大の敵は何か、と問われたらそれは「自分」である。ここで彼はヒーローとしての本来の資質を問われている。その象徴が「伯母さんの指輪」である。スパイディの能力に対する責任を果たせるようにはなった。だが、彼はヒーローとして本当にふさわしい人格を手に入れることが出来たのか?「伯母さんの指輪」を扱える資格を有しているのか?彼は幾重にも試される。
 ピーターが復讐の念に駆られたのをきっかけにコスチュームに張り付く黒い宇宙生命体、というのは、暗喩に近い。彼に「悪」が張り付いたのではなく、だれしもが持っている「酔っぱらった自分」である。酒を飲めば気分が大きくなる。ヤクをキメれば、世界すら取った気になれる。だが、酒や麻薬に飲まれれば、やがて待つのは破滅だけである。


 自らが本来持っていた「空気読めない」性格と、元親友の策謀で、恋に破れて以降、彼は「ブラックスーツ」という名の麻薬に依存し、まるで別人格へと変貌していく。仕事はうまくいき、気が大きくなってモテまくり、すべてを手に入れた気になっても、それは本来の自分が成長したわけではなく、堕落した自分である。その力に溺れた結果、彼は要らぬ「因果」を抱え込むことになる。


 「伯母さんの指輪」を扱えるほど、自分は成長していないことに気づかされるピーター。一時は正道から外れ、ヒールへと堕したピーターは、正道へと還って、ヒール時代に抱えた問題を対処するために、彼は。かつての朋友に共闘を申し込むッ!
 予定調和かもしれない。しかし、このプロレスイズムあふれる展開から導かれる最終決戦こそが、ピーターがスパイダーマンとして正しい道に戻るための、そして「弱い」自分と向き合うたったひとつのやり方。


 スパイディは、ピーター・パーカーは簡単には悟らない。彼はマトリックスの住人じゃなく、彼は我々の隣人なのだ。いつか「指輪」を扱うにふさわしい男になるまで、彼は戦い続けるだろう。そんな彼を、覚悟を持って描ききろうとするこの映画を、俺が嫌いになれるわけがないのである。大好き。(★★★★)