虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「善き人のためのソナタ」

toshi202007-02-24

原題:Das Leben Der Anderen
監督・脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク



 1984年。東ドイツ。物語は静かに始まった。


 監視は快感である。人を見透かすことは優越である。情報を握り、人を操る。人の奥底の声を聞き、恐れと硬直の向こう側にあるものを、知る。彼にとって、その仕事は天職であり、人生だった。この東ドイツで、彼の所属する国家保安省は国民の自由を統制し、自由を求める声を摘み取る。だが、国家の安寧のためには犠牲はつきものだ。彼は感情を持たずに40時間、淡々と尋問をこなし、監視を実行するプロフェッショナルだった。
 そうあることが、彼の望みのすべて。
 そのはずだった。


 愛国を装う脚本家と、女優のカップルがいた。
 だが、大臣は権力で女優と関係を結び、このカップルを監視するように国家保安局に依頼。主人公はその任務を引き受ける。だが、彼が見ている2人の人生には、かつて彼の人生に無縁なものが溢れていた。
 彼らの愛しあう声が、信頼に結ばれた絆が、盗聴したヘッドフォンから流れるソナタが、彼らの部屋から拝借してきたブレヒトの詩が、彼の感情にさざ波を立てていく。
 自分を振り返ってみれば、なんとも乾ききった生活であろうか。見下していたはずの相手こそが、実は自分よりはるかに豊かな生の喜びを謳歌している。俺のいる場所から見える、なんとも茫漠たる世界の風景。この人生で俺に出来ることはなんなのか・・・。


 ここから彼は、悪意に満ちた人生介入をやめ、国家に、そしてそれに忠実な自らの人生に、ささやかな抵抗を始める。自分の中に目覚めた感情を肯定するために。生を感じたい。もっと。もっと。彼らが愛し合い、世界の悪意から彼らを守るために。そんな世界を、彼は望み始める・・・。



 えー、さて。


 ドリームキャスト、というゲーム機があってですね、


 そこから発売されていたゲームに「ROOMANIA#203」というゲームがあったんです。PS2でもシリーズ2作が発売されてるんで知ってる人も多いと思いますが、内容はといいますとですね、「ネジタイヘイ」という青年の生活を覗きつつ、ちょっかい出して彼の人生を導こう(さざ波を起こそう)、ってゲームなんです。
 そういうシステムが、まるごと実在した!という、社会主義国家らしい現実がもとになったサスペンス。しかも、主人公が物語に介入する術は、後にも先にもこの国家が作り出した悪しきシステムに乗るしかない、というアンビバレントな設定が、男に何とも言えぬ悲哀を生み出していて秀逸。


 この物語は復讐の物語だ。なにに?
 己の人生に。己をこのようにしてきた世界に。国家に。システムに。


 その復讐で何が変わるだろう。一人の男の言葉が国外に出たからなんだ。それで何が変わる。一組の男女を救ったからなんになる。知ったことか。俺は、俺は今までの人生を、「生きて」いなかったのだ。そのことを彼らは教えてくれた。その感情が、歓びが彼を支えている。せめて、せめて、こんな世界を変えようとしている彼らを、国家単位の悪意から救ってやりたい。
 ただそれだけのために、彼は書く。


 「ただいま、特記すべきことなし。」と。


 世界は善意だけでは動かない。世界は悪意で、嫉妬で、そして、憧れで動いている。
 こうなりたい。こうありたい。悪しき行いも善き行いも、実は表裏である。善意のシステムによって悪が行われることがあるように、悪意のシステムもまた、善を為すこともある。それを支えるのは人の心である。それが純粋な、真心からの善意でなかったとしても、善行は生まれうる。
 悪意が世界の全てを支配していたからこそ、生まれうる善行もある。見返りも求めずに。自分の心が赴くままに、男は善を為す。たとえ、この先、彼の人生が、今以上に乾ききったものであったとしても。


「ラッピングは?」「いらない。これは私に捧げられた本だ」


 ラストに彼が手にするのは一冊の物語。しかし、それこそが、自らの人生を賭した男の、望んだすべてであったなら、ラストの一言は、なんとも言えず重く、そして豊かな、一言ではないか。そう思うとき、私はただただ涙を流すのだ。傑作。(★★★★★)