虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「アウトレイジ ビヨンド」

toshi202012-10-09

監督・脚本:北野武


 数年の迷走後、北野武監督が鮮やかに娯楽映画作家として復活した「アウトレイジ」の続編。


 ボクは前作の感想の中でこう書いた。

キタノ監督の迷走前と後。あきらかに違うことが一つあるとすれば、それは「たけし」が血と暴力と死に彩られた人生の中で、それでも生きることに固執することである。破滅したいんじゃない。たとえ待っているのが破滅だったとしても、彼はいいように使われる暴力の世界にうんざりし、そこからいくらかましなところに這い上がりたいと願う。それはかつて、「破滅」することに憧憬を抱き、自己愛と自己嫌悪のはざまで甘美な死を抱くかつてのたけし映画で演じた「たけし」とはあきらかに違う。
たけしくん ハイ!それまでヨ。 - 虚馬ダイアリー


  前作の結末から5年後、山王会の人物相関図もその存在も大きく変わった。
 死んだと思われていたたけし演じる大友は実は生きていて、その5年間を刑務所で過ごしており、そこから血と暴力と死にまみれたやくざ最前線の暮らしから離れることで、ぼんやりと来し方とこれからを考える時間ができた。もう、あの頃にはもどれないな、とぼんやりと考えている。
 しかし、かつて大友とは大学の先輩後輩の間柄で、今はマル暴の刑事である片岡(小日向文世)がちょくちょく会いに来ては、彼をたきつける。大友に山王会にけじめをつけろ、とあおってくるのである。刑務所に入れてもらった手前もあるから会うには会うが、大友は日に日に片岡の「変化」を感じ取ってもいる。こいつ、俺を「駒」扱いする気だ、と。
 やがて仮出所し、彼を置いてなにもかもが変わった世界に戻った大友。復讐なんてする気はない。山王会に関わらないように生きていこうとも思ってる。だが、彼はあることをきっかけに、すべてに決着をつけようとする。


 前作がひたすら暴力シーンが多発したのは、大友という男が、山王会というピラミッドの下層にいた孫請け組長で、ゆえに常に暴力の最前線に身を置いていたからである。彼が上の都合で便利に扱われる「駒」以外のなにかになりたかったら、結局血を見るしかなかった。しかし、ヤクザの世界もそのピラミッドのちょいと上の話になると、とたんに「政治」の話になる。
 山王会本家の若頭だった加藤が、初代会長に成り代わり、2代目会長になるや否や、加藤は若くても彼が見込んだ人間は積極登用し、古参が幅を利かせていた山王会の組織一新を図っている。元大友組の金庫番だった石原(加瀬亮)は、山王会を急成長させた手腕の功績で今や山王会本家の若頭だ。だが、当然そんな加藤のやり方に、長年組に尽くしていた古参連中は面白いわけがない。
 その心情を利用して、山王会の内部分裂を狙って、片岡は古参幹部の富田(中尾彬)をたきつけて、富田に関西ヤクザの雄、花菱会に渡りをつけさせようとするが、その動きは花菱会と裏でつながっていた加藤にたちまち知られ、富田が制裁を受けたことで収束してしまう。
 そこで、片岡は彼が「秘中の秘」として隠し持っていたワイルドカードを切る。それが、大友と、かつて大友組がつぶした村瀬組の若頭の木村(中野英雄)だった。

やくざなんてやってる奴は、一握りの人間以外死んでもしゃーないバカばっかり」だってことだ。やくざなんかやってる時点で「ハイ、それまでヨ」なのだと。それはたけし演じる大友も例外ではない。魅力的なキャラが大挙登場しながら、自らを含めた登場人物たちへの冷徹なまでの割り切りは、かつてのキタノ映画にはなかった気がする。
たけしくん ハイ!それまでヨ。 - 虚馬ダイアリー


 今回はその流れがさらに加速する。この映画で彼らが人間として抱えている彼らの「人生」は描かれることはない。彼らは、その立ち位置によって「世界」の変容に流される「駒」だ。大友もその駒であることは変わりがない。たけし演じる彼もまた、ヤクザ同士でつぶしあいをさせたい片岡や、東京進出の足がかりが欲しい関西ヤクザの花菱会に利用される駒として描かれる。
 しかし、ひとつ前作の大友と違うことがある。大友はもうこの世界に帰る気はないということである。俺は「やくざ以外のなにか」になりたい。「駒」として生きる人生だけはもうごめんだ。大友はそう思ってる。しかし、生きている限り、大友は自分の人生とヤクザの世界がそうそう切れないことを知る。では、どうするか。そこが本作のポイントである。


 人生の半分以上をヤクザとして生きてきた大友が組む相手が、同じく暴力の最前線で対峙した木村という辺りも大友の心情をうまく描けている。彼らは組の都合で敵対こそしたが、元は同じ「山王会」の下層で苦労した者同士である。木村へかける、大友の言葉は常に優しい。
 木村が一時期ヤクザから足を洗い、カタギになり、なついてきた若者たちが二人いる。彼らは親がヤクザだったけど、彼ら自身はヤクザではない。ヤクザに憧れているカタギの青年たちだ。たけしは、彼らをやくざに関わらせる気はない。ボディーガード気取りの彼らを再三帰そうとするのもそうだ。
 しかし、結果、大友は山王会の構成員に刺され、若者二人は山王会へと殴り込み、凄惨な最期を遂げる。


 この若者たちの死が、大友が山本ととに山王会と対峙するきっかけとなっていく。積み重ねられていく死のタペストリー。花菱会のヒットマン・城(高橋克典)の活躍もあって、加藤の息のかかった幹部連中を根こそぎ殺していく大友たち。そして、山王会の加藤体制そのものを一気に瓦解させる最後の一手。それこそ、前作のラストと密接に関わるので、「前作」を未見の方は、是非前作を見てから本作を見て欲しい。


 そして、大友は木村に自分の「半分の人生」を託して彼と袂を分かつのだが。


 この映画の最後。大友が銃口を向ける相手。それは「ストーリーテラー北野武そのものだと思う。これにて「おしまい」。娯楽映画だかなんだか知らないが、みんな、俺を「駒」扱いしやがって。なにが「続編」だバカヤロー。どいつもこいつも死にさらせ。おいらはもう、この世界にはもどらねえよ。
 半生をヤクザ世界に翻弄された「駒」、そして「物語世界」に生きる人間としての、続編に未練を残さないための大友(=たけし)の「決着(ケジメ)」の物語である。(★★★★)