虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「木更津キャッツアイ/ワールドシリーズ」

toshi202006-10-29

監督:金子文紀 脚本:宮藤官九郎


http://members.edogawa.home.ne.jp/t20/review_0311.html#cats

 俺は特にこのドラマのファンでもない。だからと言ってドラマについて全く知識がないわけでもない。・・・けれど、この映画が面白くてしょうがなかった。


 面白い?何言ってるんだ俺。この映画はたかがテレビドラマの映画化作品だ。
 頭の悪いエピソードの羅列したような構成、乱暴な人物描写、テレビそのまんまののっぺりとした画面、分からなければ分からなくていいという突き放した説明なしの脚本。そんなもので構成された実に乱暴な映画だ。


 今まで、ドラマの映画化作品で期待に応えてくれた作品が少なかった事が俺の評価をおかしくしているのだろうか。それとも季節の変わり目のせい?俺、体調悪かった?


 ドラマシリーズも見たことのない俺が、2003年11月に劇場版「日本シリーズ」を見た感想の書き出しである。衝撃だった。あの時、恥ずかしながら初めてクドカンの「天才」を認識した。なんと★5つつけている。自分でもなんで衝撃受けてるのかわけがわからず、だけど、気がつくと泣いている俺がいた。そして、その戸惑いが如実に文章に表れている。
 それから3年である。


 とはいえ、このシリーズの熱狂的なファンに比べれば、比較的醒めた形で今度の完結編に臨んだ。はずだ。ドラマシリーズを見返すこともなく、たまにやる深夜にやる再放送をとびとびで見ていたくらいの俺である。そのはずなのに。


 号泣。


 しかも、笑って泣いて爆笑して泣く、という感情の波が、繰り返し押し寄せては引いていく具合なんである。俺はこんなに「キャッツ」が好きだったのか、と驚く。が、そうではなく、いや、それもあるだろうが、それだけではなく、やはり物語自体が強靱に完成されているのだと思う。
 はっきり言って「日本シリーズ」に比べるとお祭り感は薄い。なにせぶっさんが死んで3年後という設定なのである。キャッツの面々はほぼてんでバラバラで、祭りはとっくの昔に終わり、キャッツの面々も祭りがあったことすら日常に流されて忘れかけている、という具合だ。実際に木更津に残ってるのは、市役所職員になったバンビだけで、あとは木更津を離れているのである。


 バンビが一番ぶっさんをひきずっている、というのも妙にリアルなのだが、彼らがぶっさんの死に目に会えず、いままで死にかけては蘇るぶっさんを見過ぎて、いざ死んだときに泣きそびれた、という感情とか、その辺の拾い方が本当にうまい。さすが、死の予感とコメディの躍動が比例するコメディ作家、クドカンである。


 すっかり黄昏れていたバンビがある日、「それを作れば彼が帰ってくる」という声を聞く。それをきっかけに、バンビはキャッツの面々の再集結へ動き出す。


 映画ファンには言わずとしれた「フィールド・オブ・ドリームス」を堂々とした引用(つーかモロに「パクってます」って言ってしまう)だが、映画を見ていないキャッツの面々に行って、なかなか理解してもらえないという「はずし」も絶妙だ。いつまでもひっぱるのでしつこいと思う人もいようが、俺はもうこの辺が笑いのピークだった。


 今回は死に近づいていくぶっさんの姿も、今回は逃げずに描いているので、「死」と「別れ」のにおいがより濃厚*1ではあるのだけれど、いつまでも思い出をひきずってもいられない、という彼らの3年経たなりの諦観、というか、歳をとっただけの成長や、境遇の変化というのも描いている。
 しかしやがて、祭りが終わってもけじめをつけきれてない自分たちに気づき、ぶっさんに会いたいと願うようになる、という流れも、すーっと俺の胸に染みいった。


 そして一時的に蘇ったぶっさん(ついでにオジー)との締めは、野球。
 いつもの「●回表」「〜裏」の構成は、野球の試合そのものとして描かれる。その最後の敵が栗山千明(しかも自衛隊の教官!超萌える)、と言うのが素晴らしい。


 すべての物語には終わりがある。祭りはいつか終わる。
 ぶっさんの死と隣り合わせの生き様こそが、キャッツの面々の青春そのものだった。彼らがぶっさんに言う「ばいばい」は、自らの青春との決別の言葉だ。だからこそ、だからこそ俺は泣いてしまったのだと思う。主役としてのぶっさんはとっくに死んでいて、蘇ったぶっさんもまた「死者」であり、過去なのである。


 あくまでも主人公は、いまを生きているバンビたちなのであった。


 青春の黄昏と終わりを描いた傑作である、とあえて言おう。(★★★★★)

*1:ラスト間際の親父の回想は泣けた