虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ブレイキング・ニュース」

toshi202005-12-04

原題:大事件
監督:ジョニー・トー


 強盗犯のアジトを張っていたCIDは、巡回中の巡査たちの介入という不測の事態から、犯人たちとの壮絶な銃撃戦に発展してしまう。救急車を利用して逃亡を図った犯人たちを追跡し、更なる銃撃戦に突入するが、その一部始終をTVカメラクルーたちによって撮影されていた。犯人たちに銃を向けられて、手を挙げて命乞いをする巡査の姿が映っていた事で、香港警察の信用は大きく損なわれることになった。
 上層部は、幹部会議の中で、OCTB(組織犯罪課)の女性幹部の意見を採用する。それは、TVによって失われた信頼をTVによって回復する。つまり、メディア戦略によって、警察のイメージアップを図る試みを始めるのである。警察官にはCCCD小型カメラを装着させ、その映像を編集して、メディアで「強い警察」をアピールしていくのである。
 その機会はすぐに訪れた。独断専行で犯人を追いかけていたCIDが、犯人たちの居場所を突き止めたのである。

 こうして、メディア陣が現場を取り囲む中で、警察の威信を賭けた捕り物が開始された。


 メディアがからんだ劇場型犯罪劇、ではなく、メディアを警察が利用した、劇場型捜査劇、である。

 ジョニー・トーという人は不思議な作家だ。描いているものの熱さ、というか、人間の温度というものを描きながら、与える印象は「クール」なのだ。言ってみれば、この人は、常に描くものに対して、距離をとって俯瞰するところがある。物語というのはなんかしらの力点を持つものだが、この人は、どこか、そういった力点を分散させる習性があるような気がするのだ。
 例えば、開幕冒頭の、前代未聞と言える銃撃戦長回しにしても、この人から感じるのは、徹底なる俯瞰。カットを割っても構わない、銃撃戦シーンで、わざわざカットを割らないで撮る、というのは彼の、登場人物と距離を取ってしまう演出生理を感じる。だが、今回の題材に限れば、その演出生理が「劇場型捜査」という、メディアによる虚構の「大事件」の裏側を映す物語として、効果的に作用した。


 例えば、人質に取られた家族とたまたま出会ってしまった殺し屋、そして立てこもった強盗犯が、ひとつ食卓を囲む、という、名シーンがあるが、ここであえて情緒的に落とすのではなく、彼らの感情に距離をとることで、逆に、行間に彼らの複雑な感情を織り込むことに成功している。状況が生んだ、かりそめの疑似家族。それらをメディアにさらけ出して「利用」しながら、そこにある暖かなものをも映し出す、その冷静と情熱のあいだ、ともいうべき振れ幅を、見事に映し出している。


 メディアという「虚構」を舞台装置にして、そこにある熱い「真実」を「虚構」によって映し出す。その「熱さ」を伝える目論みに、ジョニー・トーの「クール」な距離感が適切だったというのは、面白いことだと思った。(★★★★)