虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「誘拐の掟」

toshi202015-06-17

原題:A Walk Among the Tombstones
監督・脚本:スコット・フランク
原作:ローレンス・ブロック



 探偵マット・スカダーシリーズ、「獣たちの墓」の映画化。


 主演が御年62歳のリーアム・ニーソンということで、シリーズでも後期の作品であり、アルコール依存症から脱した後のマット・スカダーが主人公である。彼が酒を断つまでには紆余曲折があり、この映画では省かれているけれど、それをあえてリーアムのたたずまいだけで見せる勝負に出ている。
 言わばそれが、イイ効果になって、ハードボイルド探偵の趣が一層濃い映画となっている。


 私立探偵を営むマット・スカダー(リーアム・ニーソン)は元NY警察の刑事だったが、1991年、行きつけのなぜか酒と珈琲を一緒に出してくれるカフェにいてカフェインとアルコールを摂取していたところ出くわした銃撃戦に巻き込まれ悪党を3人射殺したが、その時に起こった「事故」が元で彼はNY警察を自主退職する。家庭は崩壊。1999年現在、彼は私立探偵としてつつましく暮らしている。彼は「報酬」をもらわない。その代わり、こころばかりの「贈り物」を依頼人からもらう。(もちろんそれが金であればありがたく頂く)。それが彼の仕事のあり方。

 仕事が舞い込んだのはアルコール断酒会仲間の男からであった。画家を自称するその男は、弟に会ってくれという。とりあえず、彼は弟のところへ話を聞く。彼の妻が誘拐され、多額の身代金を支払った。だが、彼女はバラバラになった死体となって発見された。犯人を見つけてここに連れてきて欲しい、という内容だった。豪奢な自宅、多額の報酬。そこに「麻薬稼業」の匂いをかぎつけたマットは依頼を固辞する。
 だが、弟は再びマットのところに現れた。犯人が妻になにをしたか。そして、彼に何をしたか。その一端を聞き、そして「聴いた」マットは、依頼を引き受ける。


 タフな外見、タフな生き方。しかし、こころに繊細な過去を抱えながら生きる男。彼が見ているのは逃れられない地獄。刑事になるために生まれてきた男ような男でも、酒に逃げるようになる。それがニューヨークの裏の顔なのかもしれぬ。
 そしてかれは新たな地獄へと足を踏み入れる。酒を断った明晰な頭で。


 彼は事件を追ううちにひとりの黒人少年と出会う。図書館で寝泊まりしながら暮らしていて、その事を図書館司書のおばちゃんに問い詰められているところを、助け船を出したマットは、彼に事件資料探しのアルバイトを依頼する。それがきっかけで、その少年に慕われるようになる。彼の名前はTJといった。


 マットが一歩一歩、着実に犯人の存在に近づいていく一方、犯人達も新たな獲物を物色しはじめていた。
 彼らは、抵抗できない女性をいたぶりながら殺すのが大好きという、正真正銘、凶悪な性嗜好を持つ変態ど腐れ悪党二人組である。金があり、そして警察には決して通報できない。犯人達が目をつけたのは「麻薬関係者」の女性たちだった。自分たちの変態的な欲望を満足させ、そして金を引き出せる相手の家族。それが彼らの標的だった。そして彼らは見つけ出す。新たな標的を。そして、次の事件は起こる。



 タフな生き方。それを貫き通す強い意志。それを実践できるものは少ない。しかし、だからこそ見えてしまうものがある。それは暴力の犠牲になった他者の痛みと、そして人の中にある闇。マットの地獄はどこにある?今、ここにある。


 そんなマットの生き方に一服の清涼剤となっているのがTJとの交流である。彼は探偵の相棒になる気満々で彼につきまとい始め、ついには護身用にと銃を麻薬を売りさばくチンピラから盗んできたことを自慢げにいう。マットはあきれながら、銃の扱い方を一通り教える。銃の手入れの仕方、弾倉の外し方付け方、そして安全装置を外して、どのように相手に向けるかも。そしてその後、マットはTJに言い放つ。
 銃口をこめかみに向けて引き金を引け。」と。マットはTJにその銃を手放さなければ、彼がどういう結末を迎えるかを冷徹に話して聴かせる。銃は銃を持った人間を救わない。必ず不幸にする。マットはそれを知っているのである。地獄を見える人間は俺だけでいい。
 このくだりは、映画の中でも一番好きなシーンである。 


 事件は新たな局面を迎える。新たな誘拐事件が起こり、脅迫電話がかかってきたのである。依頼人のたっての希望で交渉役となったマットの、犯人とのやりとりは限りなく攻撃的になる。
 「少女の無事の確認が最優先。出来なければ金は払わない。そして死んでいたら、おまえらを殺す。」
 彼は自分の生が終わることを恐れない。この地獄が終わるのなら、いっそ。彼のオフェンシブな交渉は犯人の、金を獲った上で殺すという心性を読んだ上での行動であるが、それと同時に実は彼の中にある「弱さ」の裏返しでもある。この独特な妙こそが、この映画を一層味わい深いものにしている。
 地獄は続いてる。明晰な頭の彼にはそれが見えている。酒は二度と手にしないという誓いは破らない。だけど、今夜、よりクリアになって頭の中に広がる地獄が終わるならそれならそれでいい。


 彼の頭につねに鳴り響いてる「断酒の会」の十二の掟。それが言わばクライマックスで効いている。彼は平衡を保っていられるのもそのおかげである。この世はつらい。人生はつらい。人間は間違える。人間は・・・俺は弱い。
 だから、せめて。今目の前の地獄を終わらせる。自分では無い「偉大ななにか」の力によって。マットの戦いの悲壮感は、自分の弱さと対峙し続ける戦いでもある。


 そんな彼にも一筋の光が照らす。ラストにふと救われるようにも思えるが、まだ彼の地獄は終わらない。だが、地獄もたまに悪くないことが起こる。柔らかな笑みを浮かべるマットの姿に一時救われる。そんな映画である。(★★★★☆)


地獄でなぜ悪い

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未来は俺等の手の中

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