虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「国際市場で逢いましょう」

toshi202015-06-16

原題:国際市場
監督:ユン・ジェギュン


 日本人の中に、韓国人のメンタリティはわからないという人は多い。何故日本人を敵視するのか、というところを切り出して理解しようとする人もいるし、反日民族だと斬り捨てる人たちもいる。だけども、ちょっとだけ考えてみればいいと思うのは。俺たちは韓国人の事を何も知らないのである。なぜなら僕たちは、韓国人ではないからである。彼らがどういう歴史を歩んできたか。資料や年表などで垣間見ることは出来る。だが、そこにある「感情」についてはかなり想像力を必要とする。
 日本では、切り貼りした情報でコラージュされて、「韓国人/朝鮮人ってこんなに醜悪」という形でネットで喧伝されてそれが固定化し、それが元で差別が助長される、という変な悪循環がある。


 韓国併合から始まる日韓の摩擦は、伊藤博文暗殺の解釈を巡ってすら平行線なように、「日韓併合」の評価はまるで違う。日本からすれば清やロシアから「守るため」に行った併合、という名目の行為であり、当時の朝鮮人もそれを望んだ・・・という解釈が一般的だ。だが、限りなく好意的に見て、実際そうだったとして。仮にそうだったとしてもだ。「国土を奪われる」人間の感情は、容易には理解出来ない。それが日本人の悪いところだ。なぜなら、そういう経験が日本人にはないからである。
 朝鮮人が自分たちの国土を自らの手に取り戻すのは、第二次世界大戦終戦後のことである。だが、その頃からすでに民族は分断される運命にあった。そして彼らは社会主義と資本主義の世界の二項対立の最前線に立たされる。しかも、同じ民族同士がにらみ合って・・・である。



 1950年の朝鮮戦争アメリカでは「忘れられた戦争」ととも言われ、日本には「朝鮮特需」という経済活況をもたらしたこの戦争は、朝鮮人にとっては決して忘れられぬ戦争である。この戦争は戦線が常に大きく南北に揺れ動いたがゆえに、多くの家族が離散し、死者は韓国軍20万人、アメリカ軍14万人、北側の兵士はアメリカの推定で200万人くらい死んでいる上に、さらに戦線が移動したことで民間人に総計400万人近い犠牲者が出ている。
 そういう歴史の流れを生んだ起点となっているのは、韓国併合であることは間違いないのだが、日本人にとって、朝鮮戦争はなぜか結構他人事感が強いのである。ここら辺の認識差が、未だ日本人と韓国人の間に横たわっている深い断絶であると言っていい。


 さて。


 そんな書き出しから始めたけれど、この韓国映画「国際市場で逢いましょう」は、政治的なメッセージは非常に少ない、普遍的な、一般家族の叙事詩である。


 釜山にある「国際市場」は今は非常に栄えた商業地域である。そこに住む「コップの店」を営む老人・ドスクは、再開発の為の立ち退きを迫られていたが、頑として聞きはしない。それゆえに近所から孤立していたが、それでも彼にはその店を守る理由があった。


 彼は思い出す。1950年12月。興南朝鮮戦争末期、韓国軍・国連軍が戦線を押し上げ、朝鮮民主主義人民共和国と中国との国境線まで近づいていた時、中国軍が参入し、北側が戦線を押し戻す。興南区域は朝鮮半島の北側にある咸興湾に面する。日本統治時代に工業地帯として栄えていたが、中国軍が爆撃を始めた事で咸興湾に避難民が殺到する。その数10万人近く。
 米軍のメレディス・ヴィクトリー号は搭載していた武器弾薬をすべて吐き出し、避難民を乗せる決断をする。この撤退作戦は戦争史に輝く人道行為としてギネスブックにも認定された奇跡、「興南撤退作戦」として語り継がれている。


 身を切るような寒さの中、ドスク少年も避難民の一人として家族とともにメレディス・ヴィクトリー号に乗り込もうと、妹をおぶりながら乗り込もうとした、その刹那。寒さでかじかんだ手、妹が後ろから何かに引っ張られるような感覚がして、気がついたら背中の妹は消えていたのである。
 12月の冷たい海に向かって妹の名前を必死に呼ぶドスク少年。息子の異変に気づいた父親が事情を聞き、妹を連れ戻そうと船を下りようとするドスク少年を押し戻して言う。「俺が連れ戻しに船を下りる。俺が戻らなかったら、お前がこの家の家長だ。」と。こうして父は妹を探すために船を下り、ドスク少年は母と弟妹たちとともに、釜山へと向かい、家族は離散してしまう。


 「俺が戻らなかったらお前が家長だ。」


 その言葉をドスクは忘れることがなかった。釜山の「国際市場」で「コップの店」を開いていた叔母さん夫婦の家に匿われながら、ドスクは家長としての気持ちを忘れることは無い。父親は必ず妹と一緒に帰ってくる。それまで守るべきものは「家族」であると。だが、父はなかなか帰ってこない。それからのドスクの人生は「家族」を支えるための人生となる
 ドスクはかつて「船長」になるのが夢であった。その夢を忘れた事は無い。だが、父親との約束を彼は生涯違えることがなかった。その為に彼は、夢を投げ打ってでも家族のために働く。


 優秀な弟がソウル大に通う学費を捻出するために、当時、軍政権下の韓国で、外貨獲得のために韓国人は出稼ぎに出かけていたが、ドイツの炭鉱で泥まみれになって働き、落盤事故で命の危機にさらされるなどの苦難を経験しつつも、そこでドスクは看護婦(現在の看護士)としてドイツに渡っていた韓国人女性・ヨンジャと出会い、やがて二人は結ばれることになる。
 ビザが切れたことで、帰国した彼は叔母さんからコップの店を任されるようになる。もちろん権利は叔母さんのものだったが、彼はそこで店のために立派に働く。その間も、彼は「船長」の夢を諦めることはなかった。


 彼は働きながら、ついに「海洋大学」の合格通知を手に入れる。だが、叔母さんがなくなり、飲んだくれの叔父さんは、「コップの店」を売りに出そうとした。するとドスクは店を自分が買い取ると言い出した。
 「船長」の夢へとつながる「海洋大学」入学をあきらめ、その店を買い取る資金捻出のために、戦争まっただ中のベトナムに出稼ぎに行こうとするドスク。当然妻となったヨンジャは反対するが、なぜかトスクは頑として聞こうとはしないのである。


 そこでもやっぱり苦労の連続、かつて幼い頃経験した興南撤退を思い出すような事件にも出会いつつ、命からがら韓国に舞い戻るドスク。買い取ったコップの店を守りつつ、やがて、彼は朝鮮戦争で離散家族を探す番組に、父親と妹の行方を知るために参加することになる。家族との再会を願い続けたドスクに奇跡は起きるのか。



 この映画において、ドスクは平凡な家族の長でしかないし、彼はただ歴史に翻弄されてきた一市民である。彼は兵士でもなければ、英雄でもない。だが、それゆえに終盤で明らかになる「彼の守ろうとしてきたもの」の、その重さに胸を突かれるのである。


 この映画は韓国人がどういう感情を持って生きてきたか、その理解の一助になる映画だと感じる。この映画は、この映画は一人の一市民がたどった個人史であり、普遍的な家族の物語でもある。監督であるユン・ジェギュンは、この映画は韓国人にとっての「ALWAYS/三丁目の夕日」であるとも言う。彼は「ALWAYS/三丁目の夕日」を見て日本人に非常に共感したともいう。
 この映画は戦争の悲劇を声高に叫んだりはしない。だが、それゆえに韓国で無ければ決して成立しえないドラマが待っている。韓国人が歴史に翻弄されてきた、その歴史の一端を垣間見ることで、日本人の心に彼らの抱える、僕らが決して持ち得なかった「哀しみ」があることに、素直に共感できると思うのである。ドラマの中で過去と現在は決して分かちがたくつながっている。互いを理解し合うということは、互いの感情の発露をこそ知ることなのである。日本人こそ必見である。大好き。(★★★★☆)


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