虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「中学生円山」

toshi202013-05-23

監督・脚本:宮藤官九郎


 この映画の「世界」の中心は江戸川区平井にある団地である。



 九時五時で仕事を終える、エロ動画とフルーツを食べることが趣味の平凡なサラリーマンの父・円山克之(仲村トオル)、地味でマニアックな韓流ドラマにはまっている母・ミズキ(坂井真紀)、小学5年生にして初恋してないことに焦る妹・あかね(鍋本凪々美)。
 そんな家族に囲まれて、妄想好きな少年として健やかに?育った円山克也(平岡拓馬)は中学生になり、突然自分でちんこをなめたいという衝動に駆られ、舌をちんこに「届く」ように「自主トレ」と銘打った柔軟体操を密かに行っていた。そしてある瞬間から自主トレをやりすぎるとあらぬ妄想の世界へとトリップしてしまうようになっていた。
 ある日、克也のいる団地にシングルファーザーの男が引っ越してくる。その男の名を下井辰男(草彅剛)という。その男は働きもせずに子供と団地内を散策している。しばらくして、克也と顔を合わせた下井は克也にふいに言った。

 「届いた?」

 それ以来、克也は下井が気になって仕方がない。気づかれたと。自分の「自主トレ」を知られていると。ちょうどその頃、近所で殺人事件が発生。克也は下井が「犯人」ではないか、と妄想し始める。


 江戸川区の、そう私が生まれ育った、わが江戸川区の西の端。江戸川区の大部分とは陸続きではなく、荒川と中川という二大河川により隔てられ、墨田区江東区に旧中川という小さな河川によって隣接し、むしろそっちの方が行き来しやすい地区。それが平井である。
 総武線沿線で、かつ京葉道路や蔵前橋通りが通っていて交通の便はいいけど、亀戸と新小岩という、そこそこ開けた駅に挟まれた平井駅周辺は実に地味。よその地区の人々の多くは「通過点」として認識しており、地味に住宅や工場が広がってる地域である。


 そんな地域なので、突然子連れ狼が団地に引っ越してきたり、目の前に韓流スターに似た電気修理工(ヤン・イクチュン)が現れたり、元ロッカーの徘徊老人遠藤賢司がいても全然不思議じゃないね!(確信)


 この映画は、4人の家族と学校と団地。それが世界の全ての中学生・円山克之とその家族を巡る話である。
 とはいえ、クドカンの描く「家族像」というものは、どこかいびつなことが多い。本作もご多分にもれない。毎朝毎夜、家族4人で食卓を囲んではいるが、家族にはそれぞれ秘密や隠し事は当たり前のようにしている、個人の集積としての家族像である。


「この団地に住んでるほとんどの人が実際どんな人か、お互い知らないだろ? それって、素敵なことだと思うんだよね」



 この下井の台詞は、家族にすら当てはまる。
 円山少年の預かり知らぬところで、中学生の妄想でも届かないような家族の秘密が描かれる。母親の秘めた韓国からやってきた謎の電気工とのロマンスが展開したり、妹があることがきっかけで親友の祖父をカレシにしたりする。
 母や妹がそんな事とはつゆ知らぬ「中学生円山」は、謎のシングルファーザー下井という、自分の「コンプレックス」だった「妄想してしまう自分」を肯定してくれる存在を得たことで、彼の妄想はいよいよ加速していく。そして、中学生の妄想は、一つの「真実」となっていく。
 彼の「妄想」は1人の男の「実像」に到達してしまっていたのだ。


 中学生円山が家族の全てを知らないように、家族もまた中学生円山が繰り広げた「冒険」を知らない。わずか2DKの部屋に一緒に住む彼らでも、である。


 「何も知らない」中学生ゆえに浸れる妄想の海。「団地」そして「家族」という限られた「空間」の中で妄想を暴走させることで、それらを全力で肯定しつつ、やがてそこから離れてしまうことのふとした寂しさ。そして、そこを通過した少年が得た「人を殺してはいけない」という問いに対する答え。
 映画3作目にして、瞬発力の高いギャグを交えながらも、演出の緩急と観客に「妄想」させる「余白」を使うことを覚えた、天才・宮藤官九郎の到達点であり、かつて男子中学生だったすべての男に送る傑作コメディである。(★★★★★)