虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「アメリカン・スナイパー」

toshi202015-02-21

原題:American Sniper
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジェイソン・ホール
原作:クリス・カイル


 久しぶりの更新、今年最初の更新です。明けましておめでとうございます。(遅い)


 約2ヶ月近く更新をしないなんてことは、ここ数年なかったことである。正直な事を言えば映画は見てきているんだけど、ブログの記事を書くほどに心がフィクションの世界に耽溺出来るような状況になかったというべきか。
 きっかけとしてなにが原因かをぼんやりと探ると、「シャルリー・エブド襲撃事件」と「シリア日本人人質事件」というふたつのテロ事件だと思う。この二つの事件は、僕をフィクションの世界への耽溺を許さない圧倒的現実としての、フィクションよりも大きな関心事となっていた。関心事というよりも、この二つの事件の狭間こそ日本という国の潮が変わるきっかけのような気がしていて、その不安が僕の心を支配していたことは否定できない。


 今思い返せば、「シャルリー・エブド」の事件の時、日本人はその当事者意識の枠外にいた。言ってみれば、テロリストからナイフや銃口を向けられることのない立場だった。その時、「表現の自由」のために300万人のパリ市民が集結して結束する人々に対して、日本人はどこか冷ややかな態度に終始していたような気がする。その態度を一言で言えば「どっちもどっち」という、きわめて中庸なそれだ。イスラム預言者を皮肉に取り上げたことで、「テロリストはもちろん悪いけど、シャルリー側にも問題がある」という態度を多くの人がとっていて、その事が僕の中では深い違和感の種となっていた。
 その日本人の態度が急変するのが「日本人拘束人質事件」である。2人の日本人を人質に、ISILが日本政府に身代金を要求をしてきた時から、日本人は戦後70年にして初めて、世界で起こるテロの「当事者」となる。その事は、多くの日本人がテロリストの「ナイフ」と「銃口」を向けられる恐怖を、ありありと想像させるには十分なことだった。


 日本政府にテロリストが要求する。およそフィクションの中でしかあり得なかった事態が、現実に起こったことで、日本人は様々な反応を見せることになる。「人質は自己責任で勝手に捕まってるんだから、日本政府に迷惑かけるな。」「日本政府に迷惑だから、死を選べ。」という「人質」の生命や人生を軽視する意見や、日本政府への挑戦であるがゆえに与野党が結束したことから、「報道の自由が危ない。」「政府批判ができない空気を作るなんておかしい」と騒ぎ出す人々まで、右も左も日本人が見せる反応は、「テロ事件の当事者」となる未曾有の事態を、想像だにしてこなかった国民性ゆえの狂奔とも言えた。




 さて、前置きが長くなりました。ようやくここからが映画の話です。







 2001年9月11日にニューヨークを襲ったいわゆる「9.11事件」を契機に起こったイラク戦争に四度に渡って従軍した一人のアメリカ人・クリス・カイルについての物語だ。


 彼はアメリカ南部はテキサスで、きわめて保守的な父親に育てられた。休日にはライフルによる狩りをして過ごし、「アメリカ人は強くあれ」と事あるごとに言われて育つ。


「人間には3種類ある。狼、羊、そして番犬だ。狼は暴力で人を従わせ屈服させようとする悪者。羊はその暴力にただ屈する弱者。番犬は狼の暴力に立ち向かい、羊を守る者。お前は番犬になれ。」


 そう言われて育ったカイル少年は、保守的なアメリカ人が考える「善きアメリカ人」になろうとする。カウボーイになろうとしたものの、現実には鳴かず飛ばずな現実に鬱屈した日々を過ごしていた青年は、30歳になる頃に、父親の「強き者は番犬となれ。」という教えに呼応するかのように、アメリカ最強の部隊、「ネイビー・シールズ」に志願する。
 過酷な入隊試験を乗り切り、見事入隊した彼は、試験の際に昔から慣れ親しんだ「射撃」に天賦の才を見いだされ、イラク戦争が起こるとスナイパーとして四度に渡って従軍することになり、彼は「伝説」と呼ばれることになる。


 この映画はそんな彼の半生を、彼の書いた自伝を元に映画化する試みで、この映画の企画の段階ではスティーブン・スピルバーグが監督することを念頭に進められていたともいう。しかし、スピルバーグが降りて暗礁に乗り上げた企画に対して、引き受けたのがクリント・イーストウッド監督ということになる。


 この企画が始まった当初はまだ存命だったクリス・カイルは2013年に不慮の事件が元で亡くなり、その事は映画でも触れられている。しかし、その映画の企画時には想像だにしない結末をクリス・カイルが迎えたことで、皮肉にも映画としてのテーマは確実に絞られる事になる。
 それは「善きアメリカ人」にして「伝説」の英雄、クリス・カイルが戦場で見た地獄、そしてアメリカで社会問題化する「戦争のPTSD」についての物語だ。



 一回目のイラク派兵の時には奥さんとなる女性とは入籍してすでに妊娠しており、そんな中で初めての従軍で命ぜられた「任務」それが予告編でも流れている、武器を持った女性と子供を撃つか撃たないかを自分の判断で決断することを迫られるという、非常に過酷なものだった。
 戦場の洗礼をいきなり浴びたクリス・カイルであるが、彼はネイビーシールズ隊員として近接戦闘にも参加し、任務の中で「戦闘の指導」まで行った彼は部隊の中で信頼を勝ち得ていく。だが、彼の中でネイビーシールズ流の戦闘術を持ってしても救えない命があることが、彼にとって重い現実として彼の心を傷つけていく。
 そして彼は、仲間を「生かす」ために「確実に殺す」ことを心に誓い、スナイパーとしての戦績を確実に積み上げていく。


 この映画にある数少ない「娯楽映画要素」があるとすれば、それは敵側の「ライバル」的な天才スナイパー「ムスタファ」との因縁である。1回目の派兵で輝かしい「戦績」を残した彼は、敵側には「悪魔」と呼ばれ、懸賞金が掛けられることになった。そんな彼をつけ狙うのが、元オリンピック金メダリストで射撃の名手「ムスタファ」である。彼もまた、この過酷な戦場でアメリカ兵を殺してきた。その彼が執拗に狙っているのが、懸賞金の掛けられたクリス・カイルなのである。
 一人の男によって戦友達が次々と傷つき殺される事態に直面した彼は、ムスタファを斃すことを胸に刻むことになる。


 そんな戦場の「戦いの螺旋」に取り込まれていくクリスは次第に、日常生活においても、心を戦場に置いてきたかのように、心を病んでいってることを奥さんに指摘される。


 イーストウッド監督はクリス・カイルへ一定の敬意を払いつつも、彼が見た地獄と戦場の過酷な描写をためらわずに行い、イラク戦争という「無為な戦争」が、多くの「同胞」を「傷つけて」いたことを観客に突きつけている。
 やがて退役し、平和な時間を過ごすクリス・カイルはそんな元兵士たちと向き合うことで、少しずつ本来の自分へと帰って行くことが出来るようになる。


 クリス・カイルが従軍前の本来の自分を取り戻したのは、2013年に死ぬわずか2ヶ月ほど前だったという。過酷な戦場を生き抜いたアメリカの「英雄」すらも決して無縁ではない心の傷は、アメリカの社会問題でもある。
 戦争から帰還した兵士の5人に一人はPTSDを患い、暴力的な事件を引き起こす事態が多発しているのである。イラク帰還兵が殺人事件を起こす件数は、ゆうに200件に迫る。一個の戦争が国内で、さらなる殺人事件を誘発してしまうのである。


【関連】
暴発するアメリカの帰還兵:殺人事件194件をマップ化 | ハフポスト


 さて。

 日本は今、少しずつ「当たり前」の国になっていこうとしている。つまり「他国の戦争に介入していける国」にしようとする流れだ。後方支援だけではなく、実際に日本人を戦争に関わらせようとする動きだ。
 「シリア人質殺害事件」も言わばその流れとは決して無縁では無い形で発露した。テロに屈さない。テロと戦う。そういう勇ましい言葉でスピーチを首相が海外でした結果、その言質を取られる形で、この事件は誘発されてきた。
 誤解を恐れずに言えばたった二人だ。たった二人の同胞が敵に捕らえられ、ナイフと銃を突きつけられただけで、僕らは恐慌する。だが、アメリカ人が見ている地獄はさらに深い。「番犬」として「羊」のために「狼」たちを殺す。その保守的なアメリカ人の教えが、若者たちを更なる戦争へと駆り立てている。


 イラク戦争が起こったことで新たなテロ組織が生まれ、そして人を殺す。そのテロリストを殺すために新たなる戦争が起こる。戦争の螺旋は止まることが無い。
 この映画で描かれているアメリカの病理は、遠い国の話として見ることは出来ない。遠くない未来の我が国が懸かるかもしれない病理なのだ。戦争が人を蝕む現実を描いた物語。それは「アメリカ」だけの物語ではなく、我々がいつか向き合うかもしれない物語なのである。そういう状況を引き受けることは僕らが出来るのか。この映画を見て、決めるといいだろうと思う。必見。傑作。(★★★★★)