虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ズートピア」

toshi202016-04-28

原題:Zootopia
監督:リッチ・ムーア/バイロン・ハワード
脚本:ジャレッド・ブッシュ/フィル・ジョンストン


 ディズニーのアニメーション新作。多種多様な動物が住む巨大都市「ズートピア」で警察官になったウサギのジュディと詐欺師のニックが、肉食動物たちの失踪事件の謎を追う物語。


 まず。手前味噌で申し訳ないが、Twitterで書いた自分の感想をざっと引用しておきます。

ズートピア」。見た目(種族)に囚われないウサギと見た目に屈して流されてきた狐が出会う、種族を越えた自由と繁栄と偏見と差別が重なり合う大都会で起こる難事件。田舎でもあった単純な差別が、都会ではより複雑に重なり合って偏在してるという視点が見事。差別や偏見は被差別側にもあるというね。

ズートピア」。種族に囚われる事と種族を武器にして生きる事の紙一重。この映画の「黒幕」もある意味見た目を武器にしてのし上がってきたというところは、ヒロインと共通しているのかもしれないが、積み重なったルサンチマンという悪意が彼女に道を踏み外させるというのは皮肉な展開かも知れない。

ズートピア」。差別や偏見をなくすための第一歩は「自分も差別や偏見を持ちうる」という事を見つめる事から始まるという真実をこの映画は描いていて、ヒロインがニックと仲直りする過程でそれをキッチリ描いているこの映画は相当に深い。人間「自分が差別する訳ない」という思い込みが一番コワイ。


 この視点での感想は個人的にこれ以上語ることはないなと思うので、この視点とは別の感想を書きたいと思う。
 それは「ズートピア」という「世界」の話だ。


 俺がこの映画についてつらつら考えていたのは「ズートピア」の世界は何故出来たか、ということだ。
 この世界が特異なのは「人間が存在しない社会」ということ。そして人間以外の動物が進化し、社会を形成し、人間の真似事ではなく、独自の進化を遂げて共生しているという点だ。
 動物もので人間社会の寓話として描きたいという、作り手の意図は理解してるつもりだ。その上で思うのは、この世界の成り立ちが、なぜこのような形にシフトしていったかだ。
 「猿の惑星」のような、言わば「人間が進化した猿によって支配された地球」というものならともかくも、独自の進化をとげて「既存の動物」が進化し、共生し、社会を形成しようとするに至ったプロセスは実に興味深いのではないかと思ったりもする。


ねこめ?わく(1) (朝日コミックス)

ねこめ?わく(1) (朝日コミックス)



 さて。
 少女漫画家・竹本泉作品に「ねこめーわく」という漫画がある。これは前述した「猿の惑星」のパロディであり、人間がいなくなった惑星で、猫が進化して独自の社会を形成しているという漫画である。そこになぜか現代の女子高生(現在の連載では女子大生)村上百合子が謎の儀式で呼び出され、猫たちの社会に関わっていくという体裁をとっている。
 竹本泉先生が律儀なのは、女の子が猫だらけの世界に呼び出されるファンタジー的な物語を紡ぎながらも、「なぜこのような世界が出来上がったのか」について、長くSF的考察を加えながら展開してきたことである。この漫画の妙味は猫という特性を忠実に受け継いだ上で、人間を「雛形」として社会を形成しようとする猫たちの「おかしみ」にある。その猫たちが人間を「真似る」ことの「ちぐはぐさ」に、地球に帰還したその惑星の「人間」ヘンリヒ・マイヤーや百合子が振り回されるところが、「めこめーわく」の面白さである。
 しかし、この「ねこめーわく」が成り立っているのは、あくまでも「人間」が遺した文明が存在し、それによって生かされ、そして猫たちは文明を「維持」しようという意思の下行動するからこそ、フィクションとしての「世界」のリアルの足場となっている。


 「ズートピア」はその辺の考察をいきなりすっとばしているアニメーションである。つまり彼らは人間的な「人格」を有しながら生き、「人間」の手助けもなしで動物たちが独自進化して、文明を発展させてきたという設定である。考えてみると不可思議なことだ。しかも、彼らは動物がもっている「寿命」にしばられずに「人間」と同じくらいの寿命を持ち、肉食動物、草食動物、小動物・巨大動物関係なく、種族・種族で独自のコミュニティを持ちつつも共存して社会を作っている。
 そもそもズートピアとは地球にあるのか。その星にかつて人間が存在していたのか。それすらもワカラナイ。けれどもメンタリティは、この世界の人間そっくり。この世界の「おかしさ」に対して映画は一切の説明をしない。「あるんだから、ある」という形で押し通していく。


 間違いなく「地球」の動物たちが「独自進化」しているのだから、ここは「地球」なのだろう。時代としては「遠い未来」、もしくは「人間が死に絶えた世界線」の「現代」という可能性もあるにはある。
 だが、より真実味が高いのは「人間」による「実験」である可能性だ。これが一番しっくり来る。つまり、このズートピア世界には「人間」がいる。だが、人間はこの「ズートピア」を中心とする世界には「不可侵」の掟があり、「彼らがどのように社会を形成し、そして折り合いをつけるか」ということを絶えず観察しつづけているという可能性だ。


 そんな妄想を考えるほどに、「ズートピア」という映画の「世界設計」は実に良く出来ている。そして彼らの生態は動物そのものなのに、一挙手一投足に「人間」を見てしまうほどに、彼らの生き方や考え方は「人間くさい」動物たちである。
 もはや既存の「擬人化動物もの」では「スルー」されてきた、「この世界はそもそもどうやって出来上がったのか」という考察という「迷路」に思わず迷い込むほどに、「ズートピア」という映画は人間社会の縮図を描いており、そして「人間社会の寓話」に寄与するためだけにこれほどの世界設計をしてみせた、ディズニーの底力に感服させられる。その力業、すげえと思う映画である。傑作。(★★★★★)