「映画 ビリギャル」
- 出版社/メーカー: よしもとアール・アンド・シー
- 発売日: 2012/07/25
- メディア: CD
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お笑いコンビCOWCOWのヒットネタに「あたりまえ体操」というのがある。
このネタが出てきたのはお笑いブームがちょうど終わりに近づいてきた時期にポコッとハマったネタであったように思う。ネタ番組が大量に作られ、そしてお笑い芸人たちが、どんどん新たなキャラやネタを掘り起こし、あらかた掘り尽くしたんじゃないか、というくらい、「出尽くした」感じの中で、この「あたりまえ体操」は出てきたんじゃなかったかと記憶する。
面白いとは何だ。過激なネタはやりつくした。面白いキャラも出尽くした。じゃあいっそ、面白いことをすることよりも、「あたりまえ」をやってみたら面白い。「面白い」のゲシュタルト崩壊のような形でハマったのが、「あたりまえ体操」だったように思う。
右足を出して左足出すと、歩ける。あたりまえ体操。
文字にすると味気ないにも程があるわけだが、これがむしろ面白い、と思わせる心理というのはあるかもしれない。ふとそんなことを思い出したのがこの映画を見た率直な感想である。
学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] (角川文庫)
- 作者: 坪田信貴
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2015/04/10
- メディア: 文庫
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というわけで、「映画ビリギャル」である。
「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」略して「ビリギャル」の映画化。原作タイトルでいきなりのネタバレである。そして、世間ではまるで現代に起きた奇跡のシンデレラストーリーであるかのように喧伝されてるわけだが。
「荒川強啓のデイキャッチ」というラジオ番組でビリギャル原作本が何万部かを突破して大人気!みたいなことを取り上げた時に、宮台真司先生が言った事にゃ、「あのね、これ、昔はそんなに珍しい話じゃなかったよ。」。それを聞いてはっとした。
そういやそうだ。昔、勉強もなんもしてなかった人間が一念発起で勉強して一流大学合格!って話は、それほど珍しい話では無かった。一昔前なら、それこそそこら中にありふれていた、「いい話」である。こういう話を最近聞かないのは、地方から東京の大学へ受験する学生が激減している現状の中で、この話が「実に珍しい奇跡」として取り上げられてベストセラーになっているわけである。
で、映画のストーリーを追っていくと、なるほど「ありふれた」話であった。
お父さん大好きで、お母さんは愛情を持って育てたので素直ないい子だった幼少期。だけど、父親が弟への野球教育に専念してほっとかれ、小学校でいじめに遭い、転校した先でも友達が出来ず、制服に憧れて入った私立中学。そこはエスカレーター式で大学まで行ける学校で、友達が出来たら勉強そっちのけで遊びまくり。高校ではすっかり落ちこぼれのギャルになっていた。それがこの映画のヒロイン・工藤さやかである。
たばこ所持が見つかり、停学処分になり、エスカレーターによる大学への道も閉ざされたさやかであるが、母親はなんとか大学へいかせようと奔走し、ある弱小だが良心的な個別指導塾の講師・坪田と出会うことになる。
この映画はこのありふれた話をどう描いたかというと。きちんと「あたりまえ」の段階を踏んでいくのである。
母親は辛抱強く娘を信じ続け愛情を注げば、娘は応えようと努力する。
父親が弟にばっかり構い、娘をほったらかしにすればグレてギャルになる。
学校の先生がお前は駄目な落ちこぼれのクズだと言い続ければ、ますます勉強しないで落ちこぼれになる。
塾講師が決しておちこぼれであることを馬鹿にせず、同じ目線で勉強を一緒に楽しめば、勉強が楽しくなる。
あたりまえ。あたりまえ。あたりまえ体操。
「偏差値30から慶応に合格したギャル」工藤さやかの人生は、実はとてもありふれた「あたりまえ」で出来ている。この映画は、それを丁寧に積み重ねていけば、それは立派な物語になることを示したことにある。
勉強が楽しくなれば、努力も苦にならなくなる。努力をすれば偏差値は伸びる。偏差値が伸びればもっと努力する。だけどそのうち、努力では越えられない壁にぶち当たる。自分の努力に意味があるのかを問い出す。努力できなくなる。
だけど、優しい塾講師との喧嘩、母親の変わらぬ愛情、弟の挫折、父親の迷い、ギャル友の応援。いろんなものを見ることで、力を得た彼女は受験戦争のまっただ中へ帰って行く。
うん。あのね。普通だね。受験生、みんなこんな感じよ。
だけど、さやかとその周辺の人々のドラマをじっくり、きちんとひとつひとつこの映画は点描していく。その力強さがなかなかだ。特にさやかの母親・ああちゃん役の吉田羊が白眉。彼女の演技は、娘がどんな状況にいようと、どんな姿になろうと「自分の娘はいい子」だと信じて夜のパートも掛け持ちしながら、愛情を注ぐことを忘れない姿をリアルに熱演。その姿に、当たり前のように心打たれてしまう。この母親がいれば、ギャルになってもそりゃ、中身はスレないいい子なのも「あたりまえ」だよな、と思わせる説得力。
この映画は、タイトルで結末をネタバレしているという、あるまじきタイトルであるが故に、その「結果」などどうでもよく、その過程にこそ価値があるのだ、というストーリーになっているのである。この映画は「ギャル」が起こす荒唐無稽な「奇跡」についての映画ではなく、「奇跡」を追い求める「ありふれた人々」についての映画なのである。大好き。(★★★☆)