虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「西遊記 はじまりのはじまり」

toshi202014-11-27

原題:西遊 降魔篇
監督:チャウ・シンチー
共同監督:デレク・クォック
脚本:チャウ・シンチー/デレク・クォック/ローラ・フオ/ワン・ユン/ファン・チーチャン/ルー・ゼンユー/リー・シェン・チン/アイビー・コン


 「少林サッカー」「カンフー・ハッスル」の、星爺ことチャウ・シンチー監督最新作は「西遊記」の前日譚。
 「西遊記」と言えば玄奘三蔵法師が、孫悟空猪八戒沙悟浄の三匹をお供に連れて、経典を求めて天竺へと旅立つ物語であるが、本作ではその旅立ちの前の話を描く。
 もともと三蔵法師とは名前ではなく、律蔵・経蔵・論蔵の3つの経典をきちんと通じている人指す尊称であり、玄奘三蔵法師となる以前の話ということになる。


 妖怪が跋扈する古代中国。弱者が強者に容赦なく喰われる残酷な世界。人々の犠牲を無くしたいと願い妖怪ハンターを志すも、自らの無力にのたうつ青年・玄奘(ウェン・ジャン)。
 水の妖怪や、ブタの妖怪に苦戦し、美人妖怪ハンターの壇(スー・チー)に救われながら、なんとか妖怪を封じたり、命からからがら逃げ切ったりと散々の玄奘。彼の優しすぎる心は妖怪を力で押さえ込む事をヨシとはしなかった。その心根を理解している師匠は五行山に封印されている妖怪王・孫悟空を探せという。


 彼の前には孫悟空を倒そうとする、強力なライバルたちが次々と現れる。虎やカマキリになりきる男。足を極限まで巨大化出来る老人。虚弱体質で常に輿にに乗ってるが、剣を念力であやつる事ができる男。
 そんな中、玄奘はついに五行山へとたどり着く。そこで出会う孫悟空の姿とは・・・。



 大いなる古典に対する見事な解釈と奇想天外な発想力、ベタを恐れない渾身のナンセンスギャグを見事に融合させ、娯楽映画とはこうあるべきという姿を魅せきる。
 バトルも伝統的なカンフー演出を下敷きに、スピルバーグやら、板野サーカスドラゴンボール進撃の巨人もかくやの様々な映画・マンガ・アニメ演出やら、最後に流れる「Gメン'75」のテーマやら、自らが偏愛する文化への目配せにも余念が無い。


 玄奘の優しい心根に惚れ込んだスー・チー演じる壇の可愛さが、やがて来る哀しい別れをより引き立たせる。その悲恋を越えて、玄奘は執着とそれを越える慈悲の心を手に入れることになる。仏教が説く慈悲と友愛が大いなる力となってスクリーンを覆い尽くす。しょせんこの世は色即是空。怨念を抱いて妖魔となり、罪を重ねる者たちもまた、大いなる慈悲で包まねばならぬ。その悟りと、経典を求める旅へと至るまでの玄奘の姿を見事に描ききる。心揺さぶるドラマとナンセンスギャグてんこ盛りコメディの見事なまでの融合こそ、チャウ・シンチーの真骨頂である。


 ベタベタでコテコテのギャグと自ら愛してやまないジャンルに対して、本気で描くとこうなるという、喜劇王の愛が詰まった星爺コメディの大傑作であり、仏教のプロ、お坊さんたちも認める仏教ファンタジー大作なのである!大好き。(★★★★★)