虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「レッド・ファミリー」

toshi202014-11-04

原題:Red Family
監督:イ・ジュヒョン
原案:キム・ギドク


 痛みというものは。当たり前であるが痛みを与えられた方にしかわからない。


 日本という国に生きて、そして歴史を学ぶときに、僕らは「日本」という国を「ひとつに国」の歴史として捉えている。しかし、視点を変えてみると、沖縄はそもそも日本国とはべつの国家であったし、北海道のアイヌ民族は日本人に虐げられてきた歴史がある。しかし、彼らの歴史を飲み込んでぼくらは「日本史」というくくりで理解をする。そこに奪われ、虐げられたモノたちの声は歴史の向こう側にかすれて消えていく。
 日本という国家には明確に「他国」に進出することはあっても、他国に「征服」され、国土を奪われたことがない国からすると、今の「韓国」と「北朝鮮」の側の痛みは理解しにくい。


 長く他国の侵略の脅威にさらされ、国土を奪われ、ようやく返還されたと思ったら、今度は朝鮮戦争という大国の代理戦争を経て国土と民族を分断されるという「歴史」は頭では理解出来る。だがその痛みをどれほど理解しようとしても僕らには想像もつかないような壁がある。
 言ってみれば西日本と東日本が関ヶ原を境に分かれちゃったもの、と例えたところで、そこにある引き裂かれた民族の感情はついぞ理解し得ないのではないか。


 この映画はそんな朝鮮半島の状況を一対の「家族」を通して戯画化したシチュエーションコメディである。


 一方は喧嘩は絶えないけれど、ごく平凡な父、母、祖母、息子の韓国の4人家族。一方の父、母、祖父、娘の一見いつも仲良くお互いを気遣う理想の家族に見える4人は、実は「北の国」から密命を帯び、指令があれば殺人さえも行う、全く赤の他人の4人の精鋭スパイである。韓国でも北朝鮮国民の心を忘れず、「総統様マンセー」と叫ぶ彼らの姿は滑稽でもある。
 しかし、一度任務となれば、「祖国の裏切り者」の命を奪わなければならない、非情な任務を負っている。



 この映画の白眉は「北朝鮮スパイ」である4人の疑似家族の視点から、物語を転がしていくことにある。家族を人質に取られ、厳しい訓練から戦闘術から殺人術まで会得した工作員である彼らだが、彼らはあくまでも北朝鮮の一般人である。彼らは常に適度に距離を取りながら、指令をもくもくとこなしつつ、あくまでも韓国の市民であることを装いながら疑似家族を続けていくうちに、次第に彼らの中に本物の家族のような連帯と、「敵国」への憧憬が現れ始める。
 元は同じ民族、同じ国家にいたはずなのに。となりの韓国の一般家族と、疑似家族であり殺人者である北朝鮮スパイたちは、実はなんら変わらない同じ民族のはずなのだ。恋をし、愛し合い、時に喧嘩もし、いがみあいながらも、自分の家族とともに過ごす。そんな当たり前すら奪われた彼らの心は、芝生の向こう側の家族を見るたびに揺れるのである。


 しかし、分断から半世紀を越え、今なお彼らはあまりに違う境遇、違う国家の中で生き、そして裏切ったの裏切られたのと言いながら殺しをクニから強要されている。緑の仕切りのあっちと向こう。何が違う?何が違うよ!同じ4人家族なのに。
 やがて、彼らは家族として連帯を持ってしまったがゆえに、失策を犯し、彼らはとなりの家族を殺すようにクニから命じられる。


 ついに、彼らは決意を胸に秘め、となりの家族とキャンプ旅行へと向かう。


 そして、描かれる「家族」たちの決断とその顛末はあまりに非情で、そして苦い。同じ民族で、おとなり同士の「家族」なのに、二つの家族の背負ったものはあまりにも違いすぎる。その痛みこそ、朝鮮民族が抱える分断の痛みであろう。そんな苦みをコメディというオブラートにくるみながらも、しかし、その苦みや痛みはやがてオブラートを越えて、激しく観客の感情に刺激してくる。そんな映画である。一見を奨める。(★★★★)