虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「グランド・イリュージョン」

toshi202013-10-25

原題:Now You See Me
監督:ルイ・レテリエ
原案:ボアズ・イェーキン/エドワード・リコート
脚本:エド・ソロモン/ボアズ・イェーキン/エドワード・リコート




 僕らは「娯楽映画を撮る」ということを、僕らはもっとも簡単でシンプルなことだと思いがちだ。映画監督が作家として個性を発揮する時、それは娯楽から大きく離れることもある。
 しかし、娯楽映画監督という職能を「体質」として持つ監督というのはいて、天性の「体幹」ゆえにどんなに題材が「娯楽」から遠くても、その監督の素地がしっかりしていれば、映画はきちんと「娯楽映画」となる。
 娯楽映画とは「その監督の肉体」によってそうであるか、そうでないかが分かれる事があるのではないかと思う事がある。



 リュック・ベッソンが一時期、監督業の一線から退き、「ヨーロッパ・コープ」を立ち上げ、ベッソン名義で脚本を書き、「安っぽい」「くだらない」と揶揄されるような娯楽映画を量産していた頃、多くの人はリュック・ベッソンに失望の声を挙げたと記憶している。しかし、その「粗製濫造」とも取られかねない量産された作品群の中に、たまに、とんでもない作品を撮る作家が出てきていた。
 ルイ・レテリエという監督もその1人。彼を最初に認識したのはジェット・リー主演の「ダニー・ザ・ドッグ」。この映画以前のジェット・リーは「能面のような顔と圧倒的な体技で容赦なく敵を倒す」役が多かった気がするのだが、この映画では、それまでの無表情に敵を倒す彼とは一線を画す、狗のような殺人マシーンとして育てられながら人の優しさを知った男、という荒唐無稽でありながらも感情に溢れたキャラクターで私の心を引きつけた。
 続く、ベッソン印脚本の「トランスポーター2」で、荒い脚本を撮り上げたことで、僕の中で逆に彼への信頼度は一段と増した。あんな荒唐無稽を絵に描いたような話なのに、映画としてきちんと引きつけられるものが出来る、ということに、僕は感動すら覚えたりした。「話はくだらない。でも面白い。」映画は存在するのである。


【関連】
ダニー・ザ・ドッグ」感想:ドッグ・イン・ザ・ドラゴン - 虚馬ダイアリー
「トランスポーター2」感想:約束(プロミス)のご利用は計画的に。 - 虚馬ダイアリー


 娯楽映画とは。脚本がどんなに荒唐無稽であろうとも、そこに芯の通った娯楽作家体質の監督さえいれば、それは娯楽映画たりうるのだ、という証左でもあった。脚本が荒唐無稽、なんてのはそれは「個性」のひとつに過ぎない。どんなに「筋が通らない」ように見える脚本でも、娯楽映画として輝かせることは出来る、ということである。


 そんな体質の作家が、今、ハリウッドに拠点を移して、「真っ当な娯楽映画」の「シナリオ」の大作映画を任されたならどうなるのか。
 そんなもん、面白いに決まっているわけである。


 売れないけれど腕は一流な4人のマジシャンが「1人の男」に集められ、1年後、ラスベガスで「フォー・ホースメン」という名前で、大胆なショーを行う。それはラスベガスに居ながらにして、フランス・パリの銀行の金庫から、320万ユーロ(約4億3千万円)を盗み出すというもので、その場にいた観客の度肝を抜いた。しかし、実際に銀行からその金が消えたことで、FBIが動き始める。
 捜査を任されることになった特別捜査官ディラン(マーク・ラファロ)とインターポールから派遣された女性捜査官・アルマ(メラニー・ロラン)は「フォー・ホースメン」を拘束し、尋問するも、証拠もなく、彼らの手口がわからないまま、釈放を余儀なくされる。そこでディランは、マジックの種明かしを生業とするサディアス・ブラッドリー(モーガン・フリーマン)に、捜査協力を依頼することになる。


 外連(けれん)味に溢れながら、しかし「荒唐無稽」のようでいて、きちんと筋は通っているストーリー。ヨーロッパ・コープ時代に「外連」だけで渡り歩いてきた監督、ルイ・レテリエはこの映画の「芯」を当然外さない。
 スピーディな演出、ハッタリを利かせながらぐいぐい物語を引っ張る物語運びも軽やかに、アメリカの大都市を股に掛けた、大胆な犯罪劇を見事に描ききる。


 全米が注目する中公演が行われたニュー・オリンズで、まんまと衆人環視の中FBIを出し抜いて「ある企み」を完遂した「フォー・ホースメン」は、彼らの拠点があるニューヨークで、街を舞台にしてのFBIとの全面対決を余儀なくされるのである。彼らは果たして生き延びることが出来るのか。そして、彼らを集めた「男」は誰なのか。


 原題の「Now You See Me」はマジシャンの決まり文句「Now you see me, now you don't(見えますね, 見えますね, おっと消えた.)」からの引用なのだが、「近くにあるものほど見えづらい」というマジックの極意が、全編にわたって息づいており、どんでん返しなラストも「んなアホな」と思わせながら妙に納得させられるのは、ストーリーにおける「マジシャン」による犯罪劇という「ハッタリ」あふれる物語と、「ルイ・レテリエ」演出の外連ぶりが、非常に有機的に結びついているからにほかならないと思うのである。超・大好き。(★★★★☆)