虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「シューテム・アップ」

toshi202008-06-09

原題:Shoot'em Up
監督:マイケル・デイヴィス


 映画に限らず、物語というのは、「歪むもの」である。


 リアルな物語、というのを映画に求める人は多く、そしてその価値観自体は理解するけど、それのみで判断しだすと映画はつまらなくなる。歪みを受け入れ飲み込み、租借すれば見えてくるものがある。それは、物語る人間が「何を描くか」を望み、そのためになにを歪ませるか、ということである。映画というジャンルは、時に、物語るものの「圧縮」を要求される。その時、語り手は何よりも「自分の描きたいもの」を取捨選択を迫られる。


 この映画が優先しているものは何か。それは・・・「面白銃撃戦」のアイデアそのものであり、それを行うためのエクスキューズをつくるための「脚本」である。まず銃撃戦のアイデアありき。


 この映画において銃撃戦のつなぎのために物語が存在しているのであり、この映画に「リアル」を問うても意味がない。つまり「こんな銃撃戦思いついちゃったんだ、すっげーだろ!?」という稚気に溢れた映画である。ちなみに監督は50過ぎのおっさんである。初老の域を軽く超えている男がこんな映画を撮る。それこそ素晴らしい。
 これは、おそらくだが彼が長年撮りたくて撮りたくてたまらなかったものを詰め込んだ映画なのだろうと思う。それを出来うる限り盛り込むために、物語を組んだ。荒唐無稽の向こう側に、そんな数十年思いを募らせてきた濃厚な執着を見る。
 物語とは、思いが「現実」をねじ伏せることが出来る、領域でもある。そしてその「思い」が濃厚であればあるほど、その物語の「歪み」の中に、彼自身の「人生」をも見せることができる。この映画は、そういう映画である。


 この映画の主役はクライブ・オーウェンでも、モニカ・ベルッチでもなく、銃撃戦そのものである。出演者はそのための「駒」にすぎない。そのことを理解でき、そして許せたならば、きっとこの映画は観客に至福の時間を約束する。(★★★★)