虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ホビット/思いがけない冒険」

toshi202013-01-10

原題:The Hobbit: An Unexpected Journey
監督:ピーター・ジャクソン
脚本:フラン・ウォルシュ/フィリッパ・ボウエン/ギレルモ・デル・トロ/ピーター・ジャクソン
原作:J・R・R・トールキン



 明けましておめでとうございます。今年最初に見たのは「ホビット」です。


「最後のは嘘だね。」「優れた物語には脚色は必要じゃ。」


 いやその、実を言うと去年公開してすぐに、IMAX版を鑑賞してたんだけど、吹き替え版見てから感想書こうと思ってたらなかなか見られなくて、感想書くまでに年をまたぎました。


 というわけで偉大なる「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の前日譚となる、新たな三部作。その第1作なわけですが。


 ・・・いやあ、生きてて良かったです。こんなものを見られるなんて世の中捨てたもんじゃないですな。周りの目を気にしなくていいならスクリーンに拝んでますよ。去年のベストに入れたかったくらいのお気に入りなんですが、ボクとしてはトリロジー系は基本的に全作まとめて1本としてベストに入れてきたので、泣く泣く外したのでした。


 この三部作の第一部は、一人の「なんでもない者」が「冒険者」として「覚悟を決める」までの物語として貫かれている。食べ物にも不自由しない、愛すべき我が家があり、平穏な日常を送ることで外界の騒乱から遠く離れて平和を守ってきたホビット族の独身中年男性・ビルボ。それが突然、一人の魔法使いのせいでその平穏を乱される。
 その者、灰色のガンダルフは、何故かビルボに冒険に出ろという。ビルボが言下に断ると今度は断りもなしに、ガンダルフの冒険の仲間であり、故郷を失ったドワーフ族たちにビルボの家を集合場所にして、好き勝手に飲み食いさせるという挙に出る。この荒っぽい、嫌がらせのようなやり口に、当然ビルボは怒るのだが、しかし、心のどこかに冒険者を輩出してきた母方の血が騒ぐ。彼に冒険をさせようとするガンダルフは、平穏を望みながらも、どこかで「外の世界」への好奇心をのぞかせる男・ビルボに、ドワーフ族の故郷奪還と王国再建への旅の仲間にしようと目をつけたのである。

 次の日、ガンダルフドワーフ一行は何事もなかったように立ち去り、がらんとした家に取り残されたビルボは、昨夜の仕打ちを忘れたかのように家を飛び出し、一行に加わることになる。


 しかしまー、仲間になったとて、ドワーフのビルボへの仕打ちは基本的に荒い。圧倒的なカリスマを発揮するドワーフ族の王子・トーリンにしたってが、どこかビルボに対して「こいつ大丈夫か?」という疑念を払えずにいるし、なによりビルボ自身が、「俺、生き残れるんだろうか」と思いながら、好奇心だけを頼りについてくる。
 ビルボは今回の冒険で結構酷い目に遭う。「家に貯め込んだ食料を一晩で食い散らかされる」「ドワーフにトロルから馬を取り返せとムチャブリされる」「トロルに鼻紙代わりにされる」「トロルの巨大な手で八つ裂きされそうになる」「トロルからドワーフを助けるためについた嘘を、ドワーフが信じて罵声を浴びせられる」「王子から足手まといだから家に帰れ!となじられる」「どうせあいつは腰抜けだから家に逃げ帰ったと陰口をたたかれる」などなど。
 思い返すと、「命がけの冒険の仲間になれ」と言ったわりに、扱いがかなり雑である。


 それでもなお。それでもなお、ビルボは冒険を受け入れていく。剣もろくに扱えない、足も取りたてて速いわけでもなく、身体は小さい。なにより「戦い」へ赴く動機がない。あるのは、直情径行なドワーフに比べて多少機転が利くくらいのものだ。
 しかし、ビルボはガンダルフの一方的な思いも、ドワーフの王国再建の悲願も、冒険中にされたどんな仕打ちも、命をかけた冒険すら受け入れて、彼はドワーフ族の宿敵・オークのアゾクにすら勇敢に立ち向かう。
 総てを受けれることで彼は、冒険者としての真のスタートラインに立つ。そこまでに手に入れた「謎の指輪」と「つらぬき丸」、そして何より圧倒的な包容力で勝ち得た「ドワーフたちからの信頼」。それがビルボが持つ、冒険への武器である。



 そのビルボを演じるのが、現代版「シャーロック・ホームズ」と言う設定の、イギリスのテレビドラマシリーズ「SHERLOCK」でホームズからの無茶ぶりの数々にもめげずに友情をはぐくむ総受けキャラとして、日本の腐女子を熱狂的に萌えさせているジョン・ワトソンを演じるマーティン・フリーマンであることは、まさにこの映画に圧倒的な説得力を持たせている。
 マーティン・フリーマンのリアクション演技と、その仕打ちををまるごと許す、彼の圧倒的「総受け」こそが、この映画のビルボを見事に、誰からも愛されるキャラへと変換することに成功しているのである。
 大傑作の予感をひしひし感じながら、次作の公開を待ちます。大好き。(★★★★★)