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大河ドラマ「平清盛」が見せたリアルタイムで共有される新たな視聴体験


 

平 清盛 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

平 清盛 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)


 23日に「平清盛」が最終回を迎えた。


http://www.asahi.com/culture/update/1225/TKY201212250200.html
【速報】最終回を迎えた大河ドラマ「平清盛」ツイッター大盛り上がり! 恋活ビューティーニュース


 視聴率は低いという報道が先行しながらも、twitterなどでは、一部で熱狂的な支持を獲得したことは面白い現象であると思う。
 かくいう私も、この1年、できる限り生で「平清盛」を見るためだけに家路を急いだ一人である。


 さて、あらためて説明すると、大河ドラマ平清盛」は、文字通り、平安時代末期を舞台に、その時代に隆盛を極めながら、やがて源頼朝ら源氏一族によって滅亡へと至る、その平家一門を隆盛へと導いた平清盛の生涯を描いた物語である。


 この物語では「平清盛白河法皇のご落胤」説を採用し、物語の中心に据えている。白河法皇はこのドラマの陰となって、最後まで清盛を苦しめることになる。
 平安末期の貴族社会から武家社会へと移行する過程の中、「王家の犬」として生きていた平忠盛が「巨魁」白河法皇から「守れなかった者」の忘れ形見が、「平清盛」という存在である。清盛は白河法皇白拍子の娘との間に生まれた子供で、平忠盛は彼女と出会い、彼女を子供ごと引き取ろうとした。しかし、その望みは叶わず、娘の死で幕を閉じる。
 考えてみると、前半は平忠盛の「挫折」が物語の出発点であり、彼がその挫折から立ち上がる物語である。そしてそのライバルに源氏がいるわけである。忠盛が上に行こうとすればするほど、貴族社会の風当たりは当然強くなる。平家が武士として貴族社会を駆け上がろうとするには、まず戦争の中で、殺し合いの「道具」として参加し、それに勝つことで、道を切り開くしかなかった。
 そして、清盛もまた平家にとって「忌み子」であることを知っている。彼が「忠盛の実子でない」ことはやがて、平家の中で不穏の種ともなっていく。


 武士であることが、天皇や貴族の「道具」であることと同義だった立場から、やがて肩を並べ、追い抜いてしまう時代の転機。
 その過渡期に、忠盛・清盛親子は全速力で駆け抜ける。清盛も信西との出会い、義朝との切磋琢磨、やがて来る、保元の乱平治の乱を経て、様々な人の夢や志を彼は継いでいこうとする。


 しかし、不思議なもので、武士として勝ち続けることで貴族社会を駆け上がる平氏が、やがて貴族の側に少しずつ寄っていってしまう。「おごれる平氏も久しからず」と世にいう。だが、それは武家社会と貴族社会との「処世」が違うことでもあり、そしてその頂点に君臨することになる清盛は、武士とは違う「何か」へと変わっていく。
 平氏以外の武家が不満を募らせるのは、貴族社会をサバイブするうちに「変節」していくしかない平氏に対してである。武家であり続ける者たちには、平家は「武士ではないなにか」になっている。


 様々な登場人物が魅力的に現れる。彼らには彼らの価値観、彼らの中にある様々な思いが歴史の狭間で揺れ動く。類型化させることなく、個性を爆発させながら彼らはその時代を生き、やがて様々な運命の中で消えていく。
 愛する者を白河院に奪われた不幸の人、エア弓矢のインパクトで視聴者にショーゲキを与えた鳥羽法皇、貴族社会を守るために厳格に生きながら、信西との争いに敗れる、は人呼んで「悪左府藤原頼長、子供の頃からの「宋へ行く」夢を図らずも政治の世界で実現しようとしながら志半ばで斃れる信西、清盛を忌み嫌いながらも、やがて「平家」が貴族社会で生き残るための捨て石になろうとする清盛の叔父・平忠正保元の乱後白河天皇と争いながら破れ、流罪先で亡くなる際に無念の為怨霊になってしまう崇徳上皇鳥羽上皇の側室とと道ならぬ恋の果てに出家し、やがてたびたびドラマに現れながら最後にナゾの「能力」を開花させ、主人公・清盛と語り部・頼朝の橋渡しを行う西行など、個性的で強い印象を残していく登場人物たちが登場する。


 そして、清盛の成長に欠かせぬ男たちが4人いる。ファンからは「パパ盛」の愛称で親しまれた「前半部のもうひとりの主人公」、厳しさと愛情のバランスの中で跡継ぎとして清盛を育てていく「育ての父」忠盛。平氏に対する源氏の嫡流にして少年時代から互いを意識し高め合う源義朝。同じ白河院の「忌み子」として世をすねていた皇子が、様々な過程を経て天皇になり、やがて清盛の前に巨大に立ちふさがる巨魁・後白河法皇。そして、彼をかつて自分が見た「高みからの風景を見せよう」として、死後も清盛の中で生き続ける「実の父」白河法皇である。
 その他「源氏物語」が大好きな「元祖・腐女子女オタク」として登場しながら、やがて平家のまとめ役として力を発揮する清盛の継室・時子、清盛の後を継ぐ棟梁として後白河法皇に使えるものとして生真面目に生きながら、その生真面目さゆえに清盛と後白河法皇の板挟みとなって苦悩する平重盛、迷走しながらも時に慧眼を見せる時子の弟・平時忠をはじめとする平家一門の面々や、海賊討伐時代に出会い、常に清盛の側で脇を固める鱸丸改め平盛国、元・海賊で後に清盛の拠点・福原の造営の中心となる兎丸、軟化する平家一門の中で一人一徹体育会系スタイルを貫いて晩年の清盛に命がけの諫言を行う伊藤忠清など、清盛を陰日向に支える人々も活写。清盛はやがて、白河法皇と同じような、「この国の頂」へと駆け上がっていく。
 そこに待つ、清盛が見る風景とは何か。そして、その頂に立つ清盛がなしえた事とは何か。それがこのドラマの大きなテーマのひとつである。


 さて。視聴率が悪いと言われながら、このドラマ、twitterでの盛り上がりは今年のテレビドラマの中でも随一と言ってもいい。それを証明するかのような記事がある。


Twitter、今年のテレビドラマトレンド上位を発表 1位は「平清盛」 : 映画ニュース - 映画.com



 この現象をどう見るか。まず、このドラマは「平安末期」という、広く知られてはいるけど幕末・戦国ほど「毎度おなじみ」ではない時代を捕らえた物語である。平家を主人公に据えた物語は「新・平家物語」以来40年ぶりという。熱心な大河ファンや、歴史好きはともかくも、一般視聴者はとにかく、この時代の登場人物の背景を、簡単に製作者側と「共有」できるほど、知識があるわけではないということが挙げられる。かくいう私も、昔に読んだ源平にまつわる知識を、遠い記憶から少しずつ引っ張り出しながら楽しんでいた。「清盛」が始まった当初、私がどの程度のていたらくだったかと恥をしのんで言えば、「信西」の出家前の高階通憲を初めて見たときに、うっかり「ああ、後の西行ね。」と信西西行を取り違えるケアレスミスはてなハイクに書き込んで突っ込まれる、という程であった。(恥ずかしい)


 当然、このドラマは賛否は出てくるわけであるが、それを含めて熱心になっていくのは「実況」できるメディアを愛用する視聴者である。#平清盛 - Twitter Searchや、私が熱心に実況していた平清盛 - はてなハイクなど、「平家物語」という、私を含めた「あやふやな知識」しか持ち得ない世界を舞台にする物語に対して、互いの知識の「補完」、感情の「共有」をリアルタイムで行う場として、twitterなどのいわゆる「実況」メディアは大いに機動力を発揮していく。


 朝のテレビ小説屈指の傑作「ちりとてちん」の作者でもある藤本有紀による脚本は、様々な伏線を張り巡らせた群像劇としての手綱さばきが見事な分、歴史上の登場人物を視聴者に丁寧に説明するような描写はあまり力を入れていない。それだけに、余計にそういう視聴者側の「補完」能力が問われる作品となり、それが一般の視聴者(視聴率を左右する「一般家庭」の人々)が離れて視聴率の低下を招きながら、「知識」や「感動」を共有できるメディアを使う視聴者は熱狂したのではないか、と私は思うのである。


 「平清盛」は一部マスコミからは「視聴率が悪い=失敗作」として報道されているように感じるけれど、このドラマはまさに21世紀のソーシャルメディアによる「補完」と「共有」を当たり前に使いこなす、新たなスタイルの視聴者の心を掴んだ。まさにこのソーシャルメディア-時代を象徴するドラマと言えるのではないかと、愚考する次第である。


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