虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ブラック・スワン」

toshi202011-05-11

原題:Black Swan
監督:ダーレン・アロノフスキー
原案:アンドレス・ハインツ
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクローリン


 カメラが歩く彼女の背中を追う。


 彼女の歩きには常に緊張がつきまとう。その緊張が、他人をよせつけない。ひとりの世界の中で、常に何かに突き動かされるように、彼女は歩いている。それはまるで、綱渡りをしている最中のような。
 彼女の名前はニナ。職業・バレリーナ。今日も舞台の中心で踊るために、自らの肉体と技術を、ギリギリまで磨き上げるべく練習しつづける、ストイックなまでの日々を送っている。バレエの技術だけなら、彼女は誰にも負けない自信がある。けれど・・・。

 不安は彼女の中に、むくむくとわきあがってくる。


 不安は緊張を呼ぶ。その緊張が頂点となる日がやってくる。彼女は、ついに、念願のプリマドンナに選ばれたのだ。題材は「白鳥の湖」。認められれば、彼女は次世代の星になれる。しかし、演出家は、彼女にバレリーナの「技術」以上のものを要求してきた。今度の「白鳥の湖」は白鳥だけでなく、王子を誘惑する黒鳥をも演じなければならない、という難役であったのだ。彼はニナに言う。「白鳥役だけなら君は完璧だ。だが・・・」と。
 そしてこう付け加える「「己をもっと開放しろ!」と。その言葉は、まさに彼女の「不安」と直結するものであった。

 
 ナタリー・ポートマンが主演である。
 それがこれほど重要な要素である映画はまれなのではないか。そういう意味では運命の映画であると思う。
 彼女の出世作となったのは、言うまでもなく「レオン」のマチルダ役であり、その時の可愛さたるや、全世界のロリコンが萌え上がった映画でもある。暗殺者レオンは、彼女との生活の中で、潤いを取り戻すが、やがて彼女の仇敵を殺すために、全力で皆殺しにしていくのである。


 しかし、ロリコンを萌え上がらせた美少女が、その後女優として大成するか、と言われると難しい。「E.T.」の子役でブレイクしたドリュー・バリモアや、「タクシー・ドライバー」で一世を風靡したジョディ・フォスターも、長くその呪縛にとらわれ、女優として大成するまでに、かなりの時間を要した。
 ナタリー・ポートマンは、頭が良く根が真面目であるがゆえに、そういった意味では着実にキャリアを重ねている方だとは思うのだけれど、それでも彼女の中にある一種の「頑なさ」は、つねにつきまとっていた。はっきり言えば「「くそまじめすぎる」「色気を感じない」。その頑なさはかつてのジョディ・フォスターにも似ている。


 そのイメージを、この映画は見事に援用している。援用しながら、そのイメージをとことんまで「不安」の部分を抽出し、煮詰めていく。彼女は常に緊張している。自らが変わることを恐れている。バレエに人生の全てを捧げてきた。そんな彼女が恐れるのは、彼女の「コントロール」できない「人間としての本質」そのものであり、それはつまり「女性のしてのサガ」である。
 彼女のあこがれのダンサーであるかつてのプリマからの嫉妬の対象となり、挙げ句、彼女がその後迎える結果を目の当たりにすることになる。


 彼女の恐れは、彼女が彼女でなくなること。つまり自らの「変化」であり、そしてそれはすなわち自らの「セカイ」に他者が介入してこようとすることである。演出家が、「君はバージンか?」、との問いをされて、うつむきながらうやむやに答えるシーンがあるけれど、彼女が処女か処女でないかはともかく、彼女はそういうことを聞かれることそのものを、極端におそれてもいるのである。

 「選ばれた者の恍惚と不安、二つ我にあり」

 とはかつて前田日明や「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」でメガネも引用したヴェルレーヌの言葉だけど、この映画にはその「不安」だけを抽出する。彼女のつねに背筋がつねにのびて、二の腕のあたりが常に緊張をはらんでいる歩き方をしている。彼女のセカイは、他者の介入を恐れているがゆえに、彼女は他者の介入そのものが、恐れの対象なのである。
 ゆえに、この映画のある種の「ホラー描写」は彼女の「セカイ」の中の恐慌なのであって、他人からすれば「当たり前のことが起こっている」だけのことで、それがこの映画の「変」なところである。(この映画の極端な「セカイ系ホラー描写」が個人的には共感を拒んでいて、「面白い」「笑ける」という方向に流れちゃったのだけど。)



 だから、この映画の彼女はだれかが自分の領域に他人が入ってくるだけで、精神が恐慌をきたす。そして変化がまるで「黒い」ものであるかのように、この映画は描いている。でも、本当はそうではない。そのことを彼女は取り返しのつかない痛みのなかで気付く。
 彼女が恐れていた「変化」のなかにこそ、恍惚はあるのだと。


 そして、彼女ひとりきりだった「セカイ」は、やがて輝かしい光の中で、終わりを迎えるのである。ま、何もそこまでせにゃあ気付かないもんか?・・・という話ではある。個人的には、「ソリッドに作り上げられた珍作」カテゴリに入ってる映画だったりします。(★★★☆)