「サマーウォーズ」
まず。力作である。で。
ボクが80歳の老婆の誘拐を描いた岡本喜八監督の「大誘拐」という映画を映画館で再見したときに書いた一部分を引用する。
http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20050605#p1
だが、久しぶりに再見していて、別の感慨を得もする。
この映画、すでに「現代」では不可能な犯罪になってしまったのだなあ、などとも思った。そもそも原作自体が結構古く、古き良き「村社会」という性善説めいた信頼関係に寄っかかった物語構造なので、当時でも感じられた「ファンタジー」の色合いが、今見ると一段と濃く感じられる。
この映画は一言で言えば、あこがれの高校の先輩にしてこの映画のヒロイン・陣内夏希の、90歳の曾祖母を中心に広がる「親戚」というコミュニティと出会った主人公・小磯健二くんが過ごす、4日間の出来事の話である。
細田守監督は世界観を「ぼくらのウォーゲーム」からよりぐっとリアルに引き寄せた形の、もしくはSNSの進化形とも言える「仮想空間 OZ」の世界観と同様に、こういう「ご親戚」の関係性というのも、今という時代のなかでは比較的「ファンタジー」の領域のコミュニティを、対照的に描く、という狙いは、なかなか巧いと思った。
この映画の真・ヒロインはこのコミュニティの中心・陣内栄である。彼女のカリスマ性を描けたの非常に有効で、この映画が空中分解しなかった要因で、彼女の存在が世界を混乱に陥れ、最後に救う、という物語の構造を力強く結んだ。
ばたばたとした親戚の描写の距離感は、いままでそういうものとは無縁の人間の描き方で、「憧憬」が非常に入っている。もっとぐちゃぐちゃといやらしい部分もあるはずだけど、そういう部分はアニメーションにすることでキレイに脱臭されている。「キングカズマ」のカズマくんはともかくとして、狭いコミュニティの中から、自衛隊の関係者、医者、電気屋、消防士、世界の破壊に関わるもの、警察官などがそれぞれのコミュニティで一定の位置にいる、というのをもう少し手堅く描けていればいいのに・・・とは思う。そこがきちんと描けていれば、よりぐっとクライマックスの「アバター」の価値が、「頭数」やらご都合主義的な展開の「理由付け」以上のものになったのに、と思う。
それよりもこの映画のもうひとつのコミュニティOZは、ちょっと「いきすぎたネット社会」というか、ケータイ普及率と同等数の会員を誇るSNSという怪物性・万能性をかなりリアルにに描いているのだが、それってテロを起こしている「小悪党」よりもある種脅威というか、民間会社が、他人のプライバシーやら個人情報やら機密やら、医師のカルテや水道管やガス管の操作や交通網の書き換え、衛星のハッキングまでを可能にしているという設定は、やっぱりちょっと首をかしげざるを得ないというか、そこまでいくとネットが現実的な「政治」や「医療」「交通」、さらには「防衛」の領域にまで干渉する話でしょ。*1
テロ組織云々以前に、このSNSの管理会社の存在ってかなり世界の「政・官・財」やら「軍事力」やらなにやらを掌握してるってことの危険性があるのでは?ということや、そもそもこういう事態をまったく想定していない管理会社や政府の問題とか、もやもやを終始感じていたのだけど、この映画はそれを指摘しないし、それを描く気もなく、ずいぶんと脳天気な「善と悪」の「対テロ戦争」のかたちに落とし込まれてしまっている。
ただ、面白いなと思ったのは、この映画が、ひとりの男の「孤独な生い立ち」と祖母への「歪んだ憧憬」から世界の破壊に手を貸してしまいながら、結果的に、彼を孤立させた曾祖母の作り上げたコミュニティが世界を救う、というその話の流れが、「世界の破壊と再生」を一人の老婆が握っていた、という構造として完成してしまったことである。
それは老婆の「存在」によって始まり、老婆のコミュニティによって終息される「大誘拐」の構造と非常に似ていて、こういう物語だからこそ、アニメーションで成立する話なのかな、とも思った。
だからこそ、親戚たちによる「反撃」を彼女の●から始めてしまったのは正直「ズルい」と思ったし、安易だとも思ったのだけど、「非常」の世界の出来事を、「非常」ならざる人々の集積が救う、というクライマックスは「ぼくらのウォーゲーム」の同工異曲ながら、それなりに盛り上がる。*2
ボクとしては「ヒロイン」を90歳の老婆・栄さんひとりにして、彼女をクライマックスの矢面に押し出すのが一番キレイだと思う。それが一番素敵な「セカイ」との落とし前の付け方だったと思う。
「祖母と孫」の歪んだ関係性から始まったセカイの混乱を「祖母」の遺したコミュニティが救う。それをいま成立するには、アニメーションでしか出来ない、と踏んだ細田守監督の力技でなんとか成立させた作品だったと思う。(★★★☆)