虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「パンズ・ラビリンス」

toshi202007-10-15

原題:El laberinto del fauno
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ


 森の道を車が行く。


 ここはスペイン。内戦が続いている。身重の母との長い長い旅。オフィリアはそれでも平気だった。彼女には本があった。不安はある。だけど、彼女には物語と想像の翼があった。さっきも彼女は「妖精」にあった。きっといいことがある。


 着いたのは、知り合いの大尉のいる駐屯地だった。彼女はなぜ自分がここに来ることになったのかを、深くは考えてこなかった。ただ、母に付いて知り合いのおじさんの家に行くだけ。そう思っていた。しかし。そうではなかった。母は大尉と再婚の道を選択したのだ。
 そんなとき、駐屯地ちかくに彼女は、迷宮を見つける。巨大な迷路。


 ある夜、「妖精」に導かれた彼女は、迷宮の奥でその「生き物」と出会った。彼は自らを「パン」と名乗り、言う。あなたは彼の国の女王であると。


 



 
 物語の宇宙は無限である。我々が認識できる現実は「有限」である。


 物語の有り様を一概に規定するのは、俺は物語に対する冒涜だと思う。物語は自由であるべきだ。それでなければ想像力の翼は広げられない。成功するかしないか。それは、実は大きな問題ではない。
 物語は誰のものか。おれは作り手のものだと思う。現実という壁があり、そこから解き放たれたとき、物語はさらなる可能性を見せる。と同時に、物語は広げすぎると、収拾がつかなくなったりもする。


 現実をただ現実のままに。ただ受け入れるのではなく。我々はなにがしかの「物語」を通して認識することが多い。その方が目の前のことを自分のこととして認識しやすくなるからだ。さらなる共感。高まる共鳴。それこそが物語の力。
 ・・ということを踏まえた上で。この映画をどう認識すればいいのか。


 ふむと。思う。


 この映画の出来事をただ、現実と幻想という二つの世界が交錯する話、という認識ならば、そうなのだろうと思う。ただそう言い切れない点もある、と思うのはこの映画の視点は、いくつかの人物の「視点」で出来ていることで、一人の少女の体験、というにはあまりに多くのことを語りすぎていると思う。絞るとするならば、オフィリア、彼女の義父ヴィダル大尉、家政婦のメルセデスの3人ということになるだろうか。
この映画は、本来であればオフィリア視点のみが望ましい物語だと思う。その方が、ファンタジー世界と現実世界という二つの現実が交錯する。この映画では、明らかに現実世界が強固で、それに対して幻想世界はどこかはっきりしない。幻想世界は現実を浸食しようとはせず、ただ、オフィリアのみに見える世界として存在する。


 だとするならば、この映画におけるファンタジー部分は「幻想世界」は、オフィリアの中にある「幻」と解釈すべきなのだろうと思う。迷宮自体は現実の中に存在し、パンが幻想世界と現実世界をつなぐ橋渡し役であるとするならば、そして彼女の物語は、「白紙の本」から浮かび上がってくる。「白紙の本」は彼女の「想像力」を具現化した存在なのではないか。
 彼女の中の幻であるからこそ、彼女はその「幻想世界」に易々とは入れない。だから試練という形で、現実を認識する。そして幻想世界の試練は、常に「現実」により形を変える。


 この映画が描くのは、幻想へと逃げる物語ではなく、オフィリアが現実と対峙するまでの物語であり、そして現実と物語の相関を描いた物語だと思うのである。


 世界は残酷である。この映画では、スペイン内戦を背景に、尊大でサディスティックな気性を持つヴィダル大尉、そして敵の内部に入り込みながら、レジスタンスを支援するメルセデスを通して、残酷な現実を描き出している。そしてその世界は、オフィリアにとて逃げ場なしの「地獄の釜の底」であり、そのことをオフィリアは認識している。女性は時に、男性よりも現実を認識しているものだ。だが、それに対峙するには彼女は幼い。そして現実は、彼女にも容赦なく試練を次々と突きつける。だからこその「物語」である。彼女は自分の中に「物語」を飼うことで救われている。
 だが、現実世界はただただ残酷であり続け、少女は現実の残酷さを認識しているからこそ、「幻想」を望む気持ちはますます強まっていく。後に彼女が選択するのは、それでもなお無慈悲な現実と対峙することであり、しかしその時にはすでに現実は彼女に牙を剥いている。


 それでも、物語は彼女が現実と向き合うことを肯定する。現実では「ただ不幸な少女」である彼女が、最後に見る光景は、祝福された自分。



 幻想は現実の彼女を救いはしない。ただ、彼女の魂を救う。物語が本当に姿を現すのは、作り手の魂と現実世界が初めてリンクするときなのだ。
 物語は、作り手と、それに共鳴する人々の中にある。現実に、我々は物語の向こう側に行けはしない。それでも、物語は現実をゆるやかに受け止めながら、我々を救うのだろう。それがその現実世界で人生を全うできなかった少女のものであろうと。(★★★★)