虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「キック・アス」

toshi202011-04-29

原題:Kick-Ass
製作・脚本・監督:マシュー・ボーン
脚本:ジェーン・ゴールドマン


 早稲田松竹で落ち穂拾い。まさかの立ち見で、しかも立ち見席完売という盛況ぶりであった。


 どうも私の性格上、語っている人が多いと、「じゃあ、ボクいいです」という気持ちになることが多くて、「キック・アス」も公開当初から、我も我もと語る人が多くて、そういう人たちと無双で立ち回ろうという勢いが乗らなくて、気持ち的に「後回しにしよう」感がばりばり出てしまい、今に至っていたわけですけど。



 そういう性格ですから、まあ、主人公が奥手のダメ男とくれば、それなりに共感できるはずなんですが、コメディとしての手触りがいまひとつ生理的に合わなかった、というのが正直なところで、ヒーローになりたければ傍観者でいてはいけない!、というテーマと初めのボンクラ描写がいまひとつかみ合っていない印象を受けてしまうのですよね。
 「ヒーローとは手前勝手に狂った自警団野郎」である、という側面を描いて見せているのはいいのですが、その「狂気」に似た発憤を、主人公が「純朴な憧れの延長線上でやっている」という風にするにはちょっとエモーションが足りない気もする。
 それを補うのが、後半になって物語の本筋に介入してくる「ビッグ・ダディー」と「ヒット・ガール」のヒーロー親子物語なんでしょうが、こっちははっきり言って、「復讐に狂ったけだもの警官」と「そのけだものに育てられたもののけ姫」みたいな感じで、はっきり言って頭おかしい。物語のクライマックスで、主人公がこの親子の復讐物語に絡むカタチで、ヒーローとしての成長を描こうとするのだけれど、そのクライマックスに共感するよりも、ボクからすると「えー、おまえそこに乗っかるの?」という違和感がどうしてもしてしまう。
 この映画の「メタヒーロー批評」的な視点がどうしても後半の展開の足かせになってるとしか思えない。


 結局主人公の決断というものは、「巻き込まれていこう!」という意味での決断であって、「巻き込んでやろう!」というのとは違う、どこか後ろ向きな感じでしか発揮されないのは、リアルというよりも、どこか「ヒーロー」としての「主体」がない感じがして、どうしても違和感が出てくる。
 むしろ、この映画最大の魅力は、主人公ではなく、彼がヒーローとして成長するために乗っかる「ヒット・ガール」や、悪の親玉である父親に憧れを抱き、父親から認められるために、「キック・アス」を陥れようとしながらも、嫌いになれずに葛藤する「レッド・ミスト」などの脇役にこそある気がする。


 「ヒット・ガール」の、父親への復讐の「道具」となることを厭わない「無邪気」と「怨念のコピペ」された暴力性が、悪の手に落ちた父親と主人公を救いに来る際に、エモーションが乗っかってくる感じは良かったかな、とは思うモノの、結局彼らは「暴力」という螺旋から抜け出すことなく、むしろ、自らはまっていく。
 この映画は一応ハッピーエンド感を出してはいるものの、どこがヒーローが生まれたことによる、新たな悪夢が生まれた感じも内包していて、クライマックスのアクションシーンは切れ味鋭いのに、心の底から爽快な気持ちにはなれなかった。(★★★)