虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「チェンジリング」

toshi202009-02-27

原題:Changeling
監督・製作・音楽:クリント・イーストウッド
脚本:J・マイケル・ストラジンスキー




 1928年に起こった実話だという。


 シングルマザーのひとり息子の失踪、警察からの発見の知らせ、しかし、その息子は見知らぬ少年。だが、少年は息子の名を名乗り彼女を母と呼ぶ。
 本当の息子はどこへ消えたのか。その真相を探る母親に、更なる苦難が待ち受ける。
 


 かなわないな。と思った。


 イーストウッド監督の前作「硫黄島からの手紙」を見終わったあとも思ったんだけど、こういうレベルの映画をこうも見事に撮られると、もう黙るしかないね。物語に寄り添いながらも、登場人物との間合いを完璧にはかり、なおかつそこに二重三重の深みを持たせる。CGなどで再現された1930年代前後の町並みも大仰にみせることなく、「あるべきもの」としてそこにある。
 驚くべきは、この映画における登場人物の「善悪」は非常に明快であり、映画は脚本上から大きくはみでないにもかかわらず、善にも悪にも大きく揺らぐことがない。イーストウッドのブレない目線が、登場人物たちの根源的な感情を揺さぶりながらも、それをただ静かに見据える。

 警察が息子だと言った少年は、息子ではない。そう確信したクリスティンはグスタヴ・ブリーグレブ牧師の力を借りて、マスコミ上で警察を告発する。すると彼女は警察に「精神異常者」として拘束され、精神病院へと送致されてしまう。
 公権力の腐敗を描く一方で、地道に仕事をする警官もいることを描くことも忘れない。カナダからの不法滞在少年を拘留したレスター・ヤバラ刑事は、少年から恐るべき告白を聞くことになる。


 少年の失踪、取替え子事件、さらに精神病院送致、そして突如明らかとなった大量殺人事件へと物語は流転する。少年の証言から、被害者として彼女の息子、ウォルターが被害者として浮上。犯人であるゴードン・ノースコットが逮捕される。
 その一方、彼女の行動がきっかけとなり、警察の横暴の一端が白日の下にさらされる。


 クリスティン・コリンズ。LAPD。そして、ゴードン・ノースコット。シングルマザーの執念×腐敗した公権力×子供ばかりを狙うシリアルキラー、という明快な三つ巴。でありながらも、善悪を超えて人間を映し出すイーストウッドの目線は、ドラマを単純には済まさない。

 どんなに絶望的な状況に追い詰められても闘うクリスティン心を奮い立たせるのは、わずかな生存の可能性。天からのびる蜘蛛の糸のように、微かな、細く短い希望の光。
 その希望へと向かい闘う姿が、大きなうねりを生む。



 希望。それは人々に大きなエネルギーを与え、時に奇跡を起こす。一人の女性の勇気が、多くの人に伝染し、やがて警察の腐敗に立ち向かう運動への契機となり、シリアルキラーと対峙してなお負けぬ気迫を、彼女に与えることになる。


 だが。この映画はそれだけでは終わらない。この映画は、「希望」の持つ、反面的な残酷さをも映し出す。


 この物語は1928年から1935年にかけての物語である。事件から7年後。彼女は新たな真相にたどり着く。
 この「真相」が彼女に何をもたらしたのか。それは「希望」であると、この映画は言う。しかし、それは果たして幸せな「希望」だったのか。
 この映画は終盤に、彼女がもしかしたらたどれたかもしれない、「新しい人生」の可能性を示す。だが、彼女にかかってきた一本の電話が運命を変えてしまう。あの時、別の電話に彼女が出たならば。別の人生があり得たはずなのだ。


 しかし。運命は彼女に「希望」を与えた。どちらが正しい道だったのか。この映画は、その答えを押し付けることはない。ただ、彼女はその後も「希望の轍」を進み続けたことを、示すのみである。彼女が望んだ結果を示すことなく。
 その時映画は、エンターテイメントとしての見事な完成度を持ちながらも、光濃い結末が生み出すいいようもない寂寥な暗さを帯びるのである。傑作。(★★★★★)