虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「オフサイド・ガールズ」

toshi202007-09-19

原題:Offside
監督・製作・脚本・編集:ジャファル・パナヒ
脚本:ジャドメヘル・ラスティン





 見たくてたまらなかった。ただ1度。この大事な1戦だけは。彼女にはその理由があった。


 2006年にドイツで行われる、ワールドカップアジア予選グループB*1。イラン対バーレーン戦。テヘランの競技場へやってきた一人の少女。


 女性がスタジアムで男性のスポーツを観戦することは法律で禁止されている。女性は専用のスタジアムで、女子サッカーしか観戦ができないのだ。
 彼女はダフ屋から買い取ると男装してテヘランのスタジアムへ乗り込む。しかし、その変装はバれ、軍の仮設の留置所に連れてこられる。だが、そこにはその少女以外にも、スタジアムに乗り込んだ女の子たちがいた!


 そうよ、私たちにだって見る権利はあるはずじゃない!外国の女性は見てるじゃないの!間違ってるのはルールのほうよ!
 てやんでえ、兵士が怖くてサッカーが見れるか、べらぼうめ!・・・おっとはしたない。


 こうして試合を見たい少女たちと、試合を見せるわけにはいかない仮設留置所の兵士との長くも短い、2時間の攻防が始まる。





 この映画は反則の映画である。


 原題もそのものずばり「オフサイド」だ。基本的には会場に「攻め込みすぎて」ルールを犯してしまった少女たちになぞらえている。ルールを犯した女性たちの映画である。
 だが、この題名の本当の示唆を知ったとき、この映画はさらなる深みと奇跡の輝きを帯びる。


 まずこの映画の映像の一部は実際のワールドカップの会場で撮られたものだ。役者たちは監督がスカウトして集めた素人の少女たち。彼女たちには基本的な物語の流れだけを伝え、基本的にアドリブはなし。素人なので物語の流れ通りに撮らねばならない。さらにこの映画は、試合の流れによって物語が変化せざるを得ない。試合前の観衆、その中で大観衆の映る場面、試合の要所要所をアドリブも交えながら撮っていく。



 監督は、エンターテイメント性も考慮に入れ、10分に1度はハプニングを起こす、という命題から彼女たちは、したたかな戦いぶりをみせる。



 兵士に化けて試合観戦していた少女や、トイレに行ったすきに逃げ出す少女、姐御肌の少女に、叔父さんに見つかってしゅんとしながらスカーフを巻く少女など、個性的な少女たちが並ぶ。


 一方、見張る兵士たちにも立場がある。彼らは徴兵され、軍の命令でこの任務につかされている。彼女たちの言い分に理があるとはいえ、彼女たちを逃がせば、罰せられるのは彼らである。彼らは自分たちの立場を守ろうと、彼女たちの本音から来る主張を一蹴しようとする。だが兵士たちは、基本的に朴訥とした農村の出で、彼女たちはこの国のインテリ層ともいうべき学生*2なのである。ただでさえ口が達者なのに、理論武装までされては兵士たちに勝ち目がない。
 この映画では、少女たちがぎゅうぎゅうに兵士を論理的に論破してしまうシーンが多数登場する。人はいいけど、現状に流されている兵士と、法律を知っていながらその法律の壁を突破しようとする少女たちでは、少女たちのほうが肝が据わっている。
 彼女たちの強さは、ルールのほうが間違っている!あたしたちの方が正しい!と知っているからこそであろう。


 だが、この映画で一番したたかに戦っているのは監督自身なのではないか。


 まずなんと言ってもこの映画は「どうやって許可を取って撮影したのか」だ。この映画を撮ることを政府が許可を出すはずがない。つまりこの映画はコネをたよりに根回ししながらも、基本的には無許可に近いゲリラ撮影の形で撮られているわけだ。しかも、少女たちがスタジアムに出入りするシーンまであるのだ!法律で禁止されている行為が、この映画では出てきてしまう。
 しかし、それはこのイランで実際にある話なのである。男装してスタジアムに乗り込む女性は後を絶たないそうだ。彼女たちはどんな厳罰も覚悟でそれでも、「サッカーを観戦する」という他国ではしごく「当たり前」のことを実行に移そうとするのである。
 彼女たちは試合の行方に一喜一憂し、自国が点を取って感動するさまは、まさにどこの国のサポーターにも共通する、イキイキとしたものだ。彼女たちは試合を見ていた試合の様子を楽しげに再現するシーンなど、とても演技には見えない…などと思っていたら、これがなんと全編アドリブだったと知って驚愕する。試合を生で観戦できない不満を爆発させたかのように。彼女たちはいきいきとスクリーンで躍動する。
 この映画は幾重の困難をかいくぐって生み出された映像なのである。しかも全編、是フィクション。


 なんという監督の覚悟!そして、なんという監督の強運!俺は思い返すほどに驚愕する。


 そして、この映画には試合展開まで味方する。1点を争う好ゲームとなるのである。


 彼女たちはやがてスタジアムからはひきはがされるが、やがて聞こえてくる、ジリジリとした試合展開に役者たちのボルテージも上がり、現実と虚構のはざかいは、やがてキレーに消えていく。娯楽映画としての彼女たちのドラマは、試合の行方に預けられた!

 そして、その試合の行方はッ!・・・・それは現実の通りなので、詳述しない。


 お祭り騒ぎのどさくさの中、街に消えていく少女たち、そして兵士たち。だが、彼女たちはすでにリストになっているため、後日逮捕される運命にあるだろう。兵士たちも、なんらかの処罰を受けるだろう。それでも、この一瞬だけは、イランの、そして彼女たちのために「勝利の歌」は流れるのである。


 こ〜〜〜〜んな奇跡的な映画であるにも関わらず!ですよ!



 イラン国内では、この映画は上映されていない!というのである。なぜか。この映画は、イランの法律に異議を唱えた映画だから、だそうである。この映画には、イラン政府としては「映ってはいけないものが映っている映画」だからである。我々は大スクリーンでこの映画を享受できるのに!なんという理不尽か。
 監督はこれまでの作品もイランでは上映禁止の扱いの憂き目に遭い続けている。それでも、それでも映画を作り続けるのだ。


 俺はこの映画の「オフサイド」という原題にこそ、監督の政府に対する、強い憤りがある、と思う。当たり前のことを当たり前といって何が悪い!


 「私は、あなたたちの突きつけるレッドカード(検閲)を恐れない。」


 娯楽映画でありながらも、逆境にあえて乗り込む力強い女性たちと、間違ったルールに対して「反則を恐れない」監督の意思こそ、この映画の真の価値だと、俺は思う。
 「今」だからこそ見られるべき「反則だらけ」のエンターテイメント、である。(★★★★★)

*1:その中に日本もいた。確認

*2:イランでは女性の方が就学率が高いとかなんとか。