虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「アポカリプト」

toshi202007-06-17

原題:Apocalypto
監督:メル・ギブソン
脚本:メル・ギブソン、ファラド・サフィニア



 時代は、16世紀のユカタン半島
 村では狩猟による自給自足の生活が為されていた。自然が人間にとってもっとも残酷だった世界。だからこそ、人々のつながりは深く、ひとつの村には暖かな絆があった。主人公・ジャガー(ルディ・ヤングブラッド'*1)は18歳の青年。すでに妻子がおり、仲も良好。妻のおなかの中にはもうひとつの命が宿っていて、臨月に入っている。厳しいけれども、豊かで平和で暖かな生活。だが、それは突然終わりを迎える。
 マヤ帝国が人狩りのために雇った傭兵の手により、村は焼き討ちに遭い、抵抗むなしく、ある者は殺され、多くの者は捕らえられた。彼らの襲撃を瞬時に察知したジャガーは深い涸れた井戸の穴に妻子を逃がし、仲間を救うために奮戦し、捕らえられる。
 傭兵たちは、何故人狩りをしていたのか。地獄のような道行きの果てに、彼らはその理由を知ることになる。


 面白い面白い。
 原語主義。宗教的政治性。自虐的パラノイア。それらの特質を内包しながら、力強い演出力を持ったメル・ギブソンという監督は、それが映画の力に変える。それゆえに、色々揶揄される人ではあるし、その方向性がプラスに走ることもあれば、マイナスに作用することもある。だが、今回はすべてプラスに作用したように思う。見事な見事な「反攻」の映画だ!
 「スペイン植民」以前のマヤ(メキシコ)・・・という設定の残酷な世界。絶望的な状況に立たされた青年が、残されたたったひとつの希望=「家族」を救うために、ただただ走る走る!…というシンプルな構造としての手に入れるためだけに、世界は構成されている。文明は俺たちの敵。頼れるものは自分の肉体のみ。残されたものは家族の存在だけ。主人公がそんなシンプルな理由を手に入れるためだけに、メル・ギブソン監督はチェイスシーンを始める「よーい、ドン」の「よーい」に、映画の前半部と演出力の粋を費やす。
 キャストやエキストラにマヤの血を引いた素人を多数使っているそうだが、彼らのしなやかな肉体からきちんと演技らしい演技を演出で引き出していて、思わず引き込まれる。特に疫病村で傭兵たちに彼らの運命を予言する少女なんて眼力が凄すぎる。さすがアカデミー賞監督は角川春樹とは違うぜ、と思わされる。
 雨乞い儀式での異様な虚仮脅し的演出もあるのだが、それらも決して映画の魅力を損なうものにはなっていない。アナログだけでなく、デジタルも意欲的に使い、融合ののセンスもなかなか振るっている。



 狩猟で手に入れた肉体、知恵、行動力。それらを武器に、主人公はエクソダスを敢行する。追いつめるのは文明に飼われたプロ集団。主人公は前半部で溜めた精神的圧迫を力に変えて走り続ける。
 そこに井戸に降るスコールがタイムリミットの役割を果たし主人公の焦りを増幅させる。死ねない、止まれない、戦うしかない。自分のテリトリーに入り、主人公は生きるために、そして生かすために、反攻に転ずる!という展開が素晴らしい。家族を活かすための戦いが、復讐をも完遂させるに及んで、物語は痛快な余韻を残す。
 個人的な文明観、宗教観に彩られた世界を背景にしながら、普遍的な活劇の躍動の力に変える。逃走エンターテイメント活劇の傑作。(★★★★★)

*1:ネイティブアメリカン出身の青年だそうな