虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ロッキー・ザ・ファイナル」

toshi202007-04-20

原題:Rocky Balboa
監督・脚本:シルベスター・スタローン


 「人生ほど重いパンチはない。」


 劇中、ロッキーが絞り出すように息子に投げかけた言葉である。
 ふと考えると、この言葉はロッキーの言葉でありながら、同時にスタローンの悟りのようなものかもしれぬ。などと思う。スタローンは「俺はロッキーのようにはなれない」と言いながら、この映画自体は「自伝的な要素が強い」と言っている。一見矛盾しているようにも思うが、この映画は言ってみれば、彼自身の現在の苦悩から絞り出された物語である。
 「ロッキー」第1作は彼自身の中の境遇の中にあって、それを乗り越えて栄光を掴んだ男の話である。この映画が公開された当初は、この映画はスタローンにとっての「ファンタジー」だった。彼の中で栄光を掴むのは夢想であり、切実な願望であった。しかし、彼の現実から絞り出すように生み出されたファンタジーは多くの共感を呼び、スタローンはスターダムへとのし上がり、物語は現実をも浸食した。


 しかし、肉体のピークを過ぎた時から、彼自身は過去の人、と受け止められるようになる。俳優としての方向転換も失敗し、ゴールデン・ラズベリー賞常連として演技力を、そして存在自体をネタにされるようになって、久しい。
 人生はなにもかもうまくいくわけではない。それでもきっと歯をくいしばって進めばきっと何かある。それは「ロッキー」が体現してきたことだ。だが、現実は物語のようにはいかない。今は亡き「エイドリアン」という現実は破局した妻たちのことであろうし、ギクシャクした関係の息子は、現実の子供たちとの関係の具象化であろう。


 この映画に観客は過去の肯定と見るだろう。だが、スタローンにとっては、おそらく、おそらく、「今の俺」が前に進むための新たな「現在」の物語を生む必要があったのだと思う。アクションスターという看板を下ろす前に、彼自身を縛ってきた呪縛を振り払うために、もう一度現実と向き合いながら、絞り出すようなファンタジーを作り出した。


 確かにクライマックスはアレだよ。いくら元チャンピオンだって、60近くの親父が長年のブランクを押して復帰して、現役チャンピオンとフルラウンド戦って大健闘、なんて、「ありえへん」話だし、ホラ話としては半端だよ。だけど、だけどさ。この映画が描こうとしたものがスタローンの現実と向き合った末の「再生への夢想」であり、その夢想の体現が本来の「ロッキー」であるならば、そこに真っ正面から心も体もすべてを賭けてぶつかっていったかつての英雄に、「退職セレモニー」として花束を持たせてやってもええやんけ、という気持ちにもなる。
 本来の俺の基準なら★3つくらいなんだけれども、これがスタローンの「過去からの飛翔」という心意気に対する敬意を込めて★1個進呈、という意味での★4つ。(★★★+★)