虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「秒速5センチメートル」

toshi202007-03-11

監督:新海誠



 インディーズで作ったアニメ「ほしのこえ」で一世を風靡した新海監督の最新作は、ひとつの初恋をめぐる、連作短編集。


 まずいえるのは、新海節は健在であること。そして、SF色を廃したことにより彼の個性が鮮明になっていることで、昔からの彼のファンならば、確実に必見である、と。




 えー以上はファンの方向けのアナウンス。ファンの方はこれ以上は読まずに劇場へGO!






 ・・・で。こっからは俺の感想になります。


 まあ、なんですか。はじめにぶっちゃけますが、俺、心が汚れてるんで、新海監督作品は苦手だし前作「雲のむこう、約束の場所」なんてだいっきらい。この作品を見てもやっぱ苦手意識そのものは消えなかった。初恋のあまずっぱさやら、「あのころの僕ら」やらの全肯定、というのはまだいいんですよ。そういうのが恥ずかしいのではなくて、それを肯定する際に付随する「自意識」までも見事なまでに肯定しちゃうところがね・・・ちょっとダメ。でも、そこが新海監督の本質なんだって改めて思った。


 この人の作品を好きになる、ということは、そういう自意識までも「かっこいい」もしくは「好もしい」という感情がなくちゃならないんだけど、俺はね、「かっこ悪い」としか思えないんですよね、そういうの。俺は昔の俺が恥ずかしいし、たまにそういうのが自分から出てしまうと、もう、嫌で嫌でしょうがない、みたいな人間だから、だからもう、相変わらず新海作品を見るといたたまれなくなっちゃうんだけど。



 第1話「桜花抄」なんかはね、いいんですよ。主人公、ヒロインが13歳のころの話で。転校ばっかりしてたボクとキミ。今度の転校で当分会えないような気がして、電車乗り継いで会いに行く、という話で。どっちかっつーと「好き」なタイプの話で、「おっ」と思うし、彼の感性のいい面が出た好編だと思うんだけど、その後がね。もう。
 第2話「コスモナウト」。これは主人公が高校3年生なんだけど、狂言回しは彼に片思い中の同級生で。転校生の彼ってば素敵で優しいけど、あたしなんか見ていない、みたいな話なんだけど。まあ、それはいいとして。ここで考えちゃうのは、この連作を貫く私小説的な「セカイ」は主人公のものなんだ、と途中で気づいたら、この話って実は主人公の「妄想」の産物なんじゃないか、って思ってしまった。そしたらもう、自分の昔の(時々今も)こっぱずかしくも愚かしい自意識の記憶がぶわーと蘇ってきて「やめてーやめてー!」って心の中で七転八倒
 自分を見てくれている女の子がいて、ボクのためにいつも待っててくれたり、ボクと同じ高校に一生懸命勉強してついて来てくれたりするんだけど、ボクが本当に好きなのは別の娘で、だけどその娘はボクの思いをわかってくれてそれを理解して告白せずに*1泣いてくれて、だけどずっとずっとぼくが好きだと(こころのなかで)誓ってくれる・・・ということを妄想している主人公(というか新海監督)を想像してしまい、それが余計に落ち着かないことこの上なく、そして物語そのものを素直に楽しめない自分にもやや自己嫌悪を感じてしまった。
 ・・・夜の土手の孤独感なんかの描写はさすがと思いましたよ<フォロー。
 第3話「秒速5センチメートル」。大人になったボクら。だけど結局結ばれずに・・・という、この辺はやや初恋に対する諦観が現われて、それを山崎まさよしの名曲に乗せて、pv風にセカイの断片を見せていくという作品。でも、なんか主人公がね、ムカつくね。あのころの感性が消えかけて、なにもかも諦めてるボクがかっこいいみたいになってて主人公が目の前にいたら確実に蹴り飛ばす。


 とまあ、汚れた心で言いたい放題書きましたけれどもね。この作品を積極肯定はしないながらも、彼のひとつの到達点として評価してもいいのではないか、とも思うのです。というのも、今回の話は、内宇宙が外宇宙とリンクするような大技を使わずに、ひとつの初恋が生まれ落ちて、だけどやがて、時間がゆっくりとその記憶を育てながらも、淡雪のように消えてしまう、という過程を丁寧に描いた作品だからで。だから、見ていて恥ずかしいけど、許せる。まだ。
 恋愛記憶術というかな、恋愛のよかった事だけをPV風にまとめておける才能が、あるのではないかと思うのですよ。人生っていいことばかりじゃないし、恋愛にだって初恋にだって、美しくないものなんていくらでもあったはずなんだよね。新海監督も知っていると思う。だけど、美しい記憶を抽出して映し出すことが彼の個性であり、かたくなに描き続けたいものであるのならば、それを突き詰め続けるのもいい。彼の作家性や美点がより明確になったという意味では、ターニングポイントになる作品だと思う。(★★★)

*1:ここが「妄想」ではないか、と勘繰らせる余地になってる