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<近況>

 「吾輩は主婦である」最終回を見終えた。



 いやあ、面白かった。「主婦」に「文豪」の魂が乗り移る、というワンアイデアのシチュエーションコメディにも関わらず、その展開のさせ方が実に見事で全然飽きさせず、かつ大きな破綻を来さず着地させた辺りは、クドカンのドラマ作家としての成熟を感じさせた。


 それにしても斉藤由貴演じる「吾輩」にこれほど萌えることになろうとは、想像してなかった。斉藤由貴(C.V本田博太郎)というコラボレーションによって生まれた彼女(かれ)に毎週、悶えるほど萌えた。このキャラクターはまさに奇跡である。
 なぜ吾輩「たん」と俺が呼ぶかっつーと、基本的に彼女(のなかの漱石)が性交渉を拒絶する、その「処女性」*1にあるのだけれど、性交渉しない身体の欲求に、その中にいる漱石の精神に影響を与えていくあたりの展開は、クドカンの天才が為せるワザだと思った。
 最終週のひとつ前のハナシなぞ、まさに吾輩たんが精神が女性化していて、みどり(吾輩たんの触媒)の夫・たかし(及川ミッチー)に女の影をみるや嫉妬するなど、もはや完全なツンデレ状態であった。特に、無意識のうちに色っぽい声を出してセックスを促してしまう、という描写は強烈すぎた。悶えすぎて死ぬかと思った。


 最終週が「こころ」のパロディ(物語の終盤は主人公の「遺書」)で、みんな宛ての「遺書(お手紙)」を一人分ずつ消化することで、シリーズを補強する番外編みたいな趣がなんか新鮮ではあった。珍しく綺麗に落ちた感があるし。しかし、「死」をパロディ化するセンスは相変わらずである。
 でも、今回のクドカンが巧みだったのは、今回、多くの登場人物が出てくるにも関わらず、そのほとんどが幸せになったことだった。吾輩たんと出会う人、そのほとんどが幸せになったことだ。そういう意味ではまさにハッピーエンドであり、出会いから「別れ」が必然だった「漱石の魂」はともかくも、少なくとも「やな家」にとっては、「彼との出会いと別れ」は大きな意味があったのだと感じさせる、素晴らしい幕切れだと思った。


 というわけで、未見の方は、クドカンドラマの例に漏れず、DVD発売が決定してるので、そちらでお楽しみください。
 

*1:「精神的」処女