虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ココシリ」

toshi202006-06-09

原題:Kekexili:Mountain patro
監督:ルー・チュア
公式サイト:http://www.sonypictures.jp/movies/mountainpatrol/index.html


 男たちは集まった。過酷な、報われない。明日をも知れないその地を守るために。


 中国南部、チベットを臨む青海(チンハイ)省にある、その村に一人の青年が降り立った。彼はリータイという男を捜していた。人なつっこい子供たちがカメラに撮ってくれとせがむ。彼らにカメラを向けつつ、その男の場所を聞く。なぜか子供たちは、その名を聞くと笑いながら散っていった。
 子供たちに聞いた場所へ行くと、死者を弔う鳥葬の真っ最中だった。その死者は、男の仲間だった。彼は密猟者に殺されたのだった。


 青年は北京に住む新聞記者で、ココシリの自然保護区指定についての取材にやってきた。それを聞くと、リータイは喜んで彼を迎え、取材に同行させた。リータイ(デュオ・ブジエ)は元軍人で、今はチベットカモシカの密猟者を追跡・捕獲する私設警察隊<マウンテン・パトロール>を組織した男だった。


 ココシリ。モンゴル語で“美しい少女”、チベット語で“青い山々”という意味だ。


 ここに棲息するチベットカモシカは、1970年代には100万頭いたが、乱獲する密猟者のために90年代には1万頭に激変した。その警察隊はその現状を憂う男たちの集団だった。


 彼らが、ここに来た学者先生曰く、中国最後の未踏の秘境らしい、と青年に誇らしげに語る。彼らは、この美しいココシリの自然を愛していた。だが、その隠された凶暴さによってその美しさは保たれている。青年は彼らに同行する中でそれを目の当たりにすることになる。
 草木一本生えない。水も食料もない。人間が生きるには過酷な大地で、彼らは姿無き密猟者たちを追い続ける。そんな場所で生きる彼らは、人とのつながりが人一倍重要だと知っている。だから、彼らは久しぶりに会うともとは、かぶりつくように抱き合う。そして共に歌い踊り、美しい星空を眺める。


 彼らはやがて、密猟者たちの手下を捕まえる。だが、彼らを捕まえても密猟は減らない。元から断たねばならない。しかし、彼らは無給で働くボランティア。この警察隊に金はない。ちょっとしたぬかるみさえ彼らの足を阻む。
 捕まえた下っ端たちを運ぶのも苦労が絶えない。ちょっと気を抜けば脱走される。空気が薄いためちょっと走れば肺気腫に冒される。仲間がケガをしても入院費用すら捻出できない。彼らは皮肉にも、押収した「毛皮」に手を出さざるを得なくなる。


 やがて、この密猟が、貧困にあえぐ農民の飯の糧となっている事実、そして、資本主義の冷酷は、こういう貧困層にとって過酷極まりない存在なのだという事実が浮き彫りになる。密猟を指揮しているのはマフィアであり、金もふんだんにある。彼らは巨大なシステムに、徒手空拳で立ち向かっているのだ。
 無謀。無茶。一人、また一人脱落していく。そして脱落した人間を待つ運命もまた、過酷だ。弱者に容赦なく牙を剥く大地の中で、彼らはその先には悲劇しか待ってないと知っていてなお、見えぬ敵を追い続ける。自らの魂をかけて。


 オールチベットロケによって映し出される、この圧倒的に残酷で、なによりも美しい自然が、この理不尽が横溢する物語に力強い説得力を与える1時間38分。この映画は美しい大地に魅入られた男たちの、哀しくも美しい、戦いの記録なのである。(★★★★)