虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「カナリア」

toshi202005-11-11

監督・脚本:塩田明彦


 三軒茶屋でやってたんで落ち穂拾い。


 オウム事件、に似た、架空の日本の「もうひとつのオウム事件」についての映画である。教団名こそ、オウムから「ニルヴァーナ」に変更されているが、名こそ違え、いや、違うからこそ、この映画は、オウム事件が残した「事象」の深層によりリアルに踏み込んでいく。あの事件から10年。そこで生まれたこの映画で見せる、塩田監督なりの決着とはなにか。


 そもそもが「害虫」の延長線上にある映画なのは明白だ。少なくとも、大人は子供を救わない。「大人は身勝手なものだ」。塩田監督はそういった視点を崩さない。偶然出会った、社会から「孤立」した少年少女が、一緒に旅に出る。ボーイミーツガールな物語でありががら、描かれるのはオウムな因業地獄めぐり*1である。
 ニルヴァーナにのめり込む母親を持ち、教団の教義によって母親と引き裂かれながら、そこで生きるしかすべがなかった少年。母親の愛を取り戻すために、妹を祖父から取り返そうとする少年は、母の幻影を求めることでニルヴァーナの罪業に向きあわされる。大人と出会うことで、ニルヴァーナの残像や、傷跡、そして自らについた傷をいじくられる。そして、彼らの心が一時的に癒されることはあっても、救いは訪れない。そして、少年の、少女との旅の終わり。彼にとって、決定的な出来事が訪れる。


 「お前は神の子でもない。“ニルヴァーナ”の子でもない」
 「お前はお前だ。俺が俺であるように、お前はお前でしかない。それは凄く辛いことかも知れない。だがそれに押しつぶされるな。お前がお前自身であることに、負けるな」


 映画の終盤。元信者の青年に、そう餞の言葉をもらった少年。だが、彼にとっての「自分」とはやはり「ニルヴァーナ」の、「ニルヴァーナ」信者の子としての「現実」だった。その現実を「通過」することで少年は、孤独を共有しあった少女と、母親の愛の「最後の綱」である妹の手を取って、「生きる決意」を示す。だが、それは「俺は俺」という境地ではなく、ニルヴァーナの子が背負ったさらなる混沌と戦う決意だ。少なくとも、旅は終わらない。少年の「地獄」の終わりは・・・そして「救い」の光明は、戦いの先にある。(★★★★)

*1:だから「ロードムービー」というくくりをするにはいささか乱暴な映画なんである。