虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「シンデレラマン」

toshi202005-10-16

原題:Cinderella Man
監督:ロン・ハワード


 経済も精神もどん底のボクサーが手に入れたのは、利き手の骨折と「労働」。それが奇蹟のきっかけ。


 1930年代。アメリカ。主人公のジェームズ・J・ブラドッグは才能を持ちながら、怪我に泣き、ずるずるとランクを下げていく。彼のボクサーとしての下降線と時を重ねるように、アメリカは大恐慌時代に突入。借金と未払いの督促状だらけで首が回らない状況に。さらに怪我を押して出場した試合で醜態を演じてしまい、それを理由に選手資格まで剥奪されてしまう。
 それでも家族のために父親であろうとやせ我慢し、怪我した手をかばいながらの労働するも給金は雀の涙、焼け石に水。ついには電気は止められ、寒さで体調が悪くなった子供たちは他家にもらわれそうになる。父親として子供だけは手放したくないマードッグはボクシング協会にカンパを求めるほど追いつめられていく。そんな彼に、たった一回のチャンスが訪れる。


 それがマードッグが手にした奇蹟の序章であった。


 大恐慌時代のアメリカンドリーム。庶民に夢を与えた実話。極貧に身をやつしながらも、家族のために幸運と努力で栄光を掴む男の話。どん底に落ちながらも情熱を失わない父親、けなげな子供、夫や子に愛情を注ぐがゆえに苦悩する妻、主人公に声援を送り、祈る大衆。あまりにも王道。あまりにもステロタイプ
 しかし、監督が「職人」ロン・ハワードならそれは欠点ではない。美点だ。ロン・ハワードは、こういう物語をつくらせると、本当にうまい。いや、上手下手、というよりも、こういういかにも「王道」な物語に対して、照れというものを持たずに堂々と演出できてしまう、そのメンタリティゆえかもしれぬ*1。ま、それも含めて、やっぱうまい。いやあ…


 久しぶりってわけでもないけど、いいね。


 ただ、傑作かって言われると…まあ、娯楽映画として秀作ではあるけど…って感じ。この辺がロン・ハワードの限界なのかもしれない。はっきり言えば狂気が足りない。映画は、マードッグの父親としての側面を描くのには熱心だが、マードッグのボクサーとしての心理の描き込みがなく、後半のメインが妻の夫への愛情からくる苦悩がメインになってしまう。
 なぜ、マードッグはなぜ戦うのか。彼のボクサーとしての矜持を描かずに、家族に、そして大衆に愛されたヒーローとして戦っているのだ、という風に落とし込んでいく。それは、ロン・ハワードの娯楽作品としては正しい。だが、俺はマードッグの精神の、その先があったに違いない、と思うのだ。


 で、この文章の最初の文であるが、これは、奇蹟を手に入れるために彼に必要だった重要な要素は、筋肉の付き方の「バランス」だったのだと思うのだ。俺はね。才能があり、強烈な右を持ちながら、左パンチが使えない、というのはつまるところ筋肉の付き方が均等では無かったということだ。利き手をかばいながらの労働が、結果的にバランスのとれた体になったということではないか。
 その均整のとれた体と、極貧の中で稼ぐことの難しさを知った文字通りの「ハングリー」が、彼の奇蹟を支えたのだと思う。(★★★★)


公式サイト:http://www.movies.co.jp/cinderellaman/

*1:日本の監督で言えば、山田洋次って感じかな。